民俗学の本を読むと、今でも新しい知識が得られて面白い。民俗学つってもお硬い学者の本でなく、俗っぽい本とか対談本とか、そういうのも含めて。日本は民俗学が正当な学問ではないので、知識を得たければいろんな本をあたる必要がある。
特に性風俗に関する論考を読んだら面白かった。貴族や天皇の住居の「寝殿造」というのをなぜ寝る殿と書くかといったら、セックスが儀式に含まれているからだ、とか。また賭博のテラ銭というのは、昔は賭博が寺で開かれていたからだ、とか。また現在では相撲は神事といわれるけど、昔は神社の境内で見世物として相撲をやっていて、ただの興行に過ぎなかったのに、神社で行われていたのでいつの間にか神事にまつり上げられた、とか。
性風俗の民俗学というと、よく「日本はもともとフリーセックス的な文化で夜這いが一般的だった」とかいうけど、これの元ネタは赤松啓介で、この人は日本の性風俗についてデマを流す役目も一部で担っていたフシがあるので、鵜呑みにしないほうがいい。だいたいこの人の論文の初出は部落解放同盟の機関誌であることが多く、それゆえ日本の性風俗がもともと堕落したものだったとデマを流布しているフシがある。
日本で民俗学をやれるのは「決まった人間」だけで、ではどういう人間が?というと、本屋で民俗学の本を手にとって前書きを読めばわかるが、次の一文が必ず書いてある。「・・・戦争中に田舎に疎開すると、そこの子供たちに苛められた。しかしその土地の被差別部落の子供たちだけは、自分をかばってくれた」。この一文が必ず書いてあるんだよね、もう何見ても必ず書いてある(笑)。
だから日本で民俗学を仕切っているのは解放同盟で、なぜかといったら彼らが事実を解明されると困るから。彼らの仲間でなければ民俗学はできないし、彼らに都合の悪いことを書くことも許されない、というわけ。
日本の都はもともと京都で、その総鎮守は八坂神社で、その祭神はスサノヲノミコトだけど、スサノヲがどういう神格かといったら早い話がヤ◯ザみたいなもの。属性として荒ぶる神・海原の神・暴風雨の神・酒の神などがあるけど、高天原を追放される際に「馬の死体(牛の死体?)を投げ込んだら、機織りの女が女陰(女性器)を突いて死んだ」のからもわかる通り、女を凌辱するような神格。また八岐の大蛇説話でクシナダヒメが櫛に姿を変えるのは「櫛=苦と死」だから、女がスサノヲの妻になるのは苦と死を意味する。
京の都の総鎮守である以上、皇室の主神なわけだけど、そのスサノヲがこういう女性迫害的な神格なので、日本は女の人権がないがしろな男性原理の国なのである。そして牛頭天皇だからバアルであり、牛の角は三日月に形が似ているので弓月君でもある・・・ということ。おそらく天皇家の宮中祭祀というのは、自らがスサノヲになる、スサノヲが憑依するというものではないか。
ちなみに祭祀の「祭」の字のつくりは、「月=肉」「又=刃物を持った手」「示=祭壇」であり、つまり祭壇の上で犠牲獣(人身供犠?)を屠る、からできた象形文字である。これがユダヤ教の幕屋の中で行われたのと同一なのは言うまでもない。
繰り返すように日本では民俗学に自由はない。何を書いたところで推測に過ぎない。