紹介状制度が諸悪の根源

一度精神科に罹ってしまうと、下手すればず~っと一生付き纏われる。これは自分で通院を止めても「保健所に連絡する」と脅されて、連絡されたら拘束されて強制入院させられてしまうので、結局通院を続けざるを得ない。また免許証を更新するのに医師の診断書が必要だとされてしまえば、仮に通院を止めたら診断書が貰えなくなるので、やはりそれを貰うために通院を続けざるを得ない。
こういう感じで、この国では「一度精神科に罹ってしまったら普通の生活が送れなくなる」仕組みがあちこちに張り巡らされている。そして基本的に「精神病は一度罹ったら完治は不可能」とされていて、医師も「上手に病気と付き合いながら生活しなければならない」と公言するので、精神病院アリジゴクから逃れるのは極めて困難である。

これを支えるのが紹介状制度で、もし別の病院に転院しようとしても、その際「紹介状を持参してくるように」要請される。おそらく紹介状なしに転院を受け付ける精神科というのはほぼ皆無ではないか。この紹介状は密封されていて、中に何が書いてあるのか確認することができない。その文字も(わざと?)読みにくいようにミミズがのたくったような文字で書かれることが多く、では何が書いてあるかを実際にどうやって伝達しているのか?が疑問である。
言うまでもなくこの内容には事実無根のことも平気で書かれる場合があり、俺も転院先で身に覚えのないことを言われたことがあるし、「病状」が深刻だとあれこれ尾ひれをつけて書かれるのも普通。医師によって短文のこともあれば、長文や超長文の場合もある。そして密封されているから患者が確認できないのをいいことに、事実上の「手配書」のような機能を持つと、個人的には思う。患者本人の観察記録でなくその家族からの伝聞情報も書かれるので、それに尾ひれがついて「どこからそんな話が出たのか」という言葉が医師の口から出ることもある。

繰り返すように日本の精神医療は「気に入らない奴」を監視下においてコントロールするのが主目的なので、一度精神科に罹ってしまったら最後、何年何十年後まで「密封された手配資料」である紹介状に書かれたことを前提に医師が接してくるので、もはや普通の自由な生活を送ることは事実上不可能に近い。もちろん医師の裁量次第なので、本人が「気に入らない奴」でなければ解放される可能性はあるかもしれないが。

ダンは高麗犬の子

関西で医師がALS患者を安楽死させて嘱託殺人で懲役18年と報じられたのを見て、やっぱりこの国は「人の幸せ」を全く考えてない、というか考えてない奴が支配する国だなーと思った。
俺がいつも見てる5chの某板には、しょうもない工作員みたいなのが常駐しててず~っと荒らし行為をしているけど、ソイツラが以前書いた内容でよく覚えてるのが「この世の中はずっと悪く、これからも悪く、それを良くしようと思う者は裁かれるんだわ」というカキコ。これを読めば一目瞭然、世の中を悪くすることしか考えておらず、コイツラこそ法の番人。

入門 白山信仰—白山比咩の謎に迫る(内海邦彦/著)」という書籍があるが、これを読んで興味深かったのが以下のページ。

高麗神社(高句麗神社)は埼玉県日高市にあるが、言うまでもなく日高は「日高見の国」に由来する。
「ダンはおのれの民を裁く」と「裁く=JUDGE」という語が聖書に書かれたのはもう2000年前。そして「あなたの救いを待ち望む」とも書かれてる。「ダンは獅子の子」とあり、高麗犬こそ獅子。
世の中を悪くすることしか考えてない輩は「=悪魔」だから、共存するのは無理かなあ、と。

「親を利用してコントロール」は常套手段

もはやここに改めて書く必要もないかもしれないが、日本国の精神医療が常套手段とするのは「家族を利用して一個人をコントロールする」である。

これはもう嫌~というほど知り尽くしていて、学生時代から卒業後も、そして齢40代になるまでず~っと日本国が延々実行してきたセオリー。要するに「言うことをきかせたい人間がいるとその親を利用する」で、例えば連絡事項があれば本人の頭の上を通り越して親に伝えたり、本人のことを相談するのに本人抜きで医者/カウンセラーと親のみで話し合ったり。
こうして「親が子離れできないように」し、同時に「本人が親離れできないように」する。結果的に親は負担が増えるし本人はいつまで経っても大きな子供のまま、ということになり、その家族関係を破壊するのが目的である。

その為の細かい心理操作のテクニックもいろいろ知っている。例えば入院中に親が面会に来ても、本人と会わせずに病院スタッフのみが対応する、とか。そうすれば親はスタッフから「子供さんは入院中こういう状態です」と聞かされて帰ってしまい、本人は「親御さんはこうこう言っていた」と聞かされるのみ。『親←|病院スタッフ|→本人』という具合に病院スタッフが両者の壁になり、直接やり取りをさせない。その際スタッフが両者に嘘を伝えれば、親は「ああまだ子供は異常な状態なんだ」と思い込まされるし、本人は「親はこうこう言っていたのか」と思い込まされる。その結果、病院は本人をずーーっと入院させていられる・・・もはや書くまでもないだろう。

こんなのは氷山の一角で、他にも「親に自室のゴミ箱の中身を調べさせ、本人に『◯◯が入ってたろう』と伝えさせる」もある。その際「ゴミ箱の中身を調べるほど子供を気遣っているのだ、というサインになりますよ」と口八丁で丸め込む。親に思慮が足りないとその通りに実行してしまうが、当然こんなことをされたら本人は「え?親は自分の部屋のゴミ箱の中身まで調べてるの?」と動揺するに決まっている。こうして本人に「=常に監視されているのだ」と思い込ませ、結果として家族関係を破壊する・・・ユング心理学のセオリーの一つ。

他にも「本人のプライバシーを親に漏洩する」もある。親類の一人が彼らの手法を忠実に模倣していたが、例えばメールを送ったら内容を親に転送するとか、会話の内容を親に伝聞しその中に嘘と誇張を混ぜるとか。そうやって「自分が何を言ってもみんな親に伝わってしまう」と思い込ませ、結果的にその人物の言うことを聞かざるを得なくされる。もちろんその目的は、家庭内不和と家族の破壊。

上述した以外にもいろ~いろあるが省略。結局日本の精神医学は「気に入らない奴」を監視下においてコントロールするのが目的だから、その為に本人の家族特に親を利用するのが常套手段であり十八番。なぜなら誰だって親に心配をかけたくないと思うから、親を利用されると簡単にコントロールされてしまう。これを実行されて何年何十年間とずーっと心理操作されてる例はゴマンとあり、だから精神科には親同伴で診察に来る中年男がたくさんいるのである。

「Fall=秋」だけど?

Hammer to Fallというが「Fall=秋」。
記紀神話で「トンボがたくさん飛んでいる。トンボはアキツという。じゃあトンボが飛ぶから秋津島」というくだりがあるが、アキの津のアキは安芸だろう。つまり広島。
「Hammer to Fall=アキへの鉄槌」。
ちなみに「トンボ=Dragon Fly=ドラゴンが飛ぶ」なので「秋津島=ドラゴンが飛ぶ島」。つまり水の中の龍=レヴィアタン。LeviathanだからLeviとついてるので、隠れ十三番目の支族であるレビはこの国のどこかだろう。

余談だがまな板は魚を切る板で、古代イスラエルで「マナ=聖なる食べ物」だが、航海民族のユダヤ人にとってそれは魚であり、ゆえに日本でまなとは魚のことだという説がある。

ガスライティングの基本は「音」

外出中に、大声でギャーギャー喚いたりゲラゲラ笑い声を上げたりする「音を聞かせて」心理操作する/心理動揺させるのは、ガスライティング行為の最も典型的な手法。ユング心理操作術の理論に「音に敏感なのは病気(統合失調症)の症状である」というセオリーがあるからだ。
この理由は簡単で「耳は閉じられないから」。目は瞼を閉じれば見えないけど耳には閉じる器官がないので、ガスライティング行為の基本は「異音で動揺させる」である。だから家の外で奇声を上げたり異音や騒音を立てたり、外出時にゴホゴホ咳払いを聞かせたりクシャミを聞かせるなど「常に”共通の”シグナル音を発生させる」が典型パターン。

「共通の」というのがキモで、要するに全く同じ(音の)パターンがどこでも現れるのはおかしい、と普通は考える。そして「可能性1-ただの偶然」「可能性2-何らかの集団が同じ行為を行っている」と考えるが、もし2なら「一体何の集団が?」と不安になる。
またユング心理学は「どこでも似たようなものは現れるのだ」、つまり例の『共時性(synchronicity)』を根幹にするので、もし心理学者/精神科医にこのことを相談したら、100%「それらは偶然(synchronicity)だ。どこでも似たような現象は起こるのだ。そんなことを気にし過ぎるのは病気の症状である」と言いがかりをつけられ、統合失調症とされてしまう。これは最も典型的な「精神病患者を生産する手法」なので、知っている人も多いはず。

また有名な「自分しか知らないはずの個人情報が何故か他の人達の会話から聞こえる」「他人と会話すると自分の個人情報を向こうから言ってくる」があるが、その「個人情報」こそ「=キーワード」だから、要するに「キーワード入り会話」だということだ。
町中で会話している複数人や、通り過ぎる二人組などが、会話文中にキーワードを混ぜ対象にわざと聞かせる、これも最も典型的なパターンなのは有名。

この”シグナル音”と”キーワード”、これらがガスライティング行為=集団ストーカーの典型中の典型である。

スペイン語で「礼拝=reunion」じゃないの?

なぜ教会の礼拝は日曜の朝なのか。眠いしめんどいだろ、夜やれよ夜といつも思う。南米だと夜の7時からスタートするのが普通の教会もいっぱいあるし、やっぱキリスト教は人のことを考えてないなぁと思わざるを得ない。
スペイン語で「礼拝」はreunionだと思ってたが、これはパラグアイでそう言ってたから。今PCで礼拝という語をスペイン語翻訳するとcultoと出るし、じゃあ地域ごとに単語が違うケースはよくあるから、あの国だけ礼拝=reunionなのかな?一応reunionは集会とか集まりという意味の普通名詞だが。
でもスペルを見れば「re_union」だから「再び集まる」「再集合」であり、unionだけで集会・集合という意味なのになぜ「re」とつくのか?不思議だった。半島の某国家の「再統一」もスペイン語ならreunionだろうし、ならパラグアイでは「再統一をキリストに祈るために教会に集まる」ことがreunionじゃん、と思わないでもない。
そして2013年にClariSがreunionという曲をリリースしたが、これは「再会」という意味だったっけ。歌詞も興味深い。