精神病院は体制の強制収容施設

精神病院に長期入院させられている者は、数カ月か下手すると数年かそれ以上という人間がいっぱいいる。精神科医は「病気を治療する」という発想はゼロで、モルモットにされた「患者」を閉鎖病棟で飼って、適当にクスリを投与して「まだ治ってない」と言い続けてそこに監禁しているだけ。入院患者が多いほど病院は儲かるし、精神病院の体裁として入院患者が一定数いないとならないから、モルモットにされた人間を入院患者として利用しているだけである。
ではどういう基準でモルモットが選ばれるのか?これは謎である。体制に「気に入らない奴」とみなされたとか、偉い人間の恨みを買ったとか、そういう人間の子供とか、そういう者を適当に選んで、体制が工作して無理やり入院させているケースが多いと思う。

精神病院が体制・警察と結びついているのは言うまでもない。暴れている人間を保護するという名目の場所でもあるし、合法的に市民を長期間監禁しておける施設だから、ある病院では「政治犯が収容されている」と聞いたことがある。
また、大きな精神病院には患者として警察関係者が入院しているケースがあるが、これは他の患者を見張るための要員としてわざと入院しているのかもしれない。

精神病院が医療施設でもなんでもなくただの監禁施設なのは、入院患者への扱いを見ればわかる。以前書いたように精神病院にはナースコールの設置義務がないから、なにかトラブルがあっても看護師を呼ぶ方法がない。だからI郷岡病院ではベッドに拘束された患者がトイレに行きたくても行くことができず、皆そのまま漏らしていた。看護師が気づけば処理してもらえるが、中にはわざと気づかないふりをしたり意地悪して処理しない場合がある。そういう場合は、ずーっと汚物をベッドに垂れ流したままで、部屋中に悪臭が漂っていた。
また医師や看護師に特別扱いしてもらい、頻繁に外出している患者もいるし、逆に集中して苛められて、頻繁に保護室に入れられている患者もいる。これも「その身内にどんな人間がいるか」で変わるし、その患者がなにかの要員であれば優遇される。

精神科医はたいてい「自分は市民を監禁する特別な資格と権利を有しているのだ」と思い込んでいる。警察と結びついているから、自分は逮捕権を持っているのだ、誰のことでも拘束監禁できるのだ、何年何十年と閉鎖病棟に監禁しても体制のお墨付きがある・・・という考えである。
病気を治療するために入院させるなんて発想はないから、退院できるかどうかは医師の気分次第だし、上からの命令で退院も入院延長もありうる。「この人はどういう基準で長期入院してるんだろう?」というのは、俺にもサッパリわからなかった。

体制が工作して市民を精神病院に通院させ、そのまま入院させて長期間監禁する、というモデルケースは日本で確立していて、そのための実行部隊が一般人に紛れているBとK。コイツラが集団ストーカー/ガスライティングを行い、無理やり精神病院に通院させるわけだが、相談しに行く精神科医とカウンセラー自身が体制・警察と結びついているから、要するにマッチポンプと言えよう。
2000年代の2ちゃんねるの警察板に、興味深いレスがあった。
「警察なめてんのか。精神病院にぶち込むぞ」
「おまえら集団ストーカーをやってる警察官がみんな楽しんでやってると思うなよ。誰も死ねなんて言ってないだろ、病院行けって言ってるんだ。その優しさに気づくべき」

精神科では何も言わないのが吉

精神科の診察の際、真面目に答えすぎるのはよくない。医師は揚げ足取りというか、常に「精神病だと言いがかりをつける口実」を探しているので、迂闊なことを言うとそれを理由に「病状が悪化した」などと言いがかりをつけられる。彼らは患者(というかクライアント)を通院させるための口実さえあればいいので、それを与えてしまうと向こうの思う壺になる。

いわゆる統合失調症について、どういう兆候がその症状なのか、特段の基準はない。「辻褄が合わないことを言っている」のはその理由にされるし、「変わったことを言っている」「独特なことを言っている」だけでも、病気ということにされてしまう。
たとえば俺の場合、外国にいた時にいろいろ不可解な目にあった。そういうことを医師に話すとどうなるか。普通であれば当然、それが事実かどうかの確認作業がまずなされるべきである。もし警察なら、その言動の裏を取るために捜査するだろう。しかし精神科医はそんな作業をするはずもなく、ちょっと変わったことを言っただけで「あなたは統合失調症だ」と認定する。
俺の場合は、I郷岡病院のM宅院長に「海外でこういう目にあった」と言ったら、彼は両手を上げてヒラヒラさせ「統合失調症!本人に自覚な~し!」と叫んだ。その時俺は「もし事実であるのが証明されたらどうするのか」と思ったが黙っていた。警察なら裏を取るだろうが、精神科医は「そんなことあるわけない」と思ったら精神病に認定する口実にする。

この「そんなことあるわけない」は、人によって様々だ。いろんなことを知っている医師もいれば、何にも知らない医師もいる。人によって「そんなこと」の幅はぜんぜん違う。だからその医師が理解できないことや、ちょっと不可思議なことを言うともうオシマイ。「世間の常識に照らし合わせてあるはずがないから」という理由で、精神病に認定する口実にされてしまう。
そして厄介なのは、精神科医は誰でも精神病に認定する「資格持ち」だということ。たとえ真っ当な人間であっても、正常な人間であっても、精神科医が病気だと言えばその人は精神病にされてしまう。彼らは誰のことでも精神病者に認定できる「資格」「特権」持ちなのだ。

また精神病院というのは、暴れている人を強制的に入院させる保護所の役割もあるし、世間で迫害されている人を監禁する強制収容所の側面もある。だから当然警察と結びついているので、精神科医・看護師は「自分は警察が味方についているんだ」と思っているし、警察が味方についている人間にありがちな「自分は何をしても許される」という思考をしているケースが多い。
それゆえに、自分が理解できないことや違った考えは全部間違ってるんだ、自分は全部正しいんだ、もしそういう人間がいたら入院させてしまえ、いざとなったら警察が味方してくれる・・・こういう考え方である。逆らったら入院させてしまえばいいんだ、というのが彼らの本音。

よって、精神科医と話すときには、極力何も言わない、これに限る。普通に話しても口実を探されるし、友好的に話してても口実を探されるし、うっかり変なことを言うと口実にされるし、であれば隙を見せないようにするしかない。
彼らは人間的な信頼関係を築こうなどとこれっぽっちも思っていないので、信用するだけ無駄。狭量な人間は理解できることも少ないので、余計なことは話さないほうがいい。

民俗学について小意見

民俗学の本を読むと、今でも新しい知識が得られて面白い。民俗学つってもお硬い学者の本でなく、俗っぽい本とか対談本とか、そういうのも含めて。日本は民俗学が正当な学問ではないので、知識を得たければいろんな本をあたる必要がある。
特に性風俗に関する論考を読んだら面白かった。貴族や天皇の住居の「寝殿造」というのをなぜ寝る殿と書くかといったら、セックスが儀式に含まれているからだ、とか。また賭博のテラ銭というのは、昔は賭博が寺で開かれていたからだ、とか。また現在では相撲は神事といわれるけど、昔は神社の境内で見世物として相撲をやっていて、ただの興行に過ぎなかったのに、神社で行われていたのでいつの間にか神事にまつり上げられた、とか。

性風俗の民俗学というと、よく「日本はもともとフリーセックス的な文化で夜這いが一般的だった」とかいうけど、これの元ネタは赤松啓介で、この人は日本の性風俗についてデマを流す役目も一部で担っていたフシがあるので、鵜呑みにしないほうがいい。だいたいこの人の論文の初出は部落解放同盟の機関誌であることが多く、それゆえ日本の性風俗がもともと堕落したものだったとデマを流布しているフシがある。

日本で民俗学をやれるのは「決まった人間」だけで、ではどういう人間が?というと、本屋で民俗学の本を手にとって前書きを読めばわかるが、次の一文が必ず書いてある。「・・・戦争中に田舎に疎開すると、そこの子供たちに苛められた。しかしその土地の被差別部落の子供たちだけは、自分をかばってくれた」。この一文が必ず書いてあるんだよね、もう何見ても必ず書いてある(笑)。
だから日本で民俗学を仕切っているのは解放同盟で、なぜかといったら彼らが事実を解明されると困るから。彼らの仲間でなければ民俗学はできないし、彼らに都合の悪いことを書くことも許されない、というわけ。

日本の都はもともと京都で、その総鎮守は八坂神社で、その祭神はスサノヲノミコトだけど、スサノヲがどういう神格かといったら早い話がヤ◯ザみたいなもの。属性として荒ぶる神・海原の神・暴風雨の神・酒の神などがあるけど、高天原を追放される際に「馬の死体(牛の死体?)を投げ込んだら、機織りの女が女陰(女性器)を突いて死んだ」のからもわかる通り、女を凌辱するような神格。また八岐の大蛇説話でクシナダヒメが櫛に姿を変えるのは「櫛=苦と死」だから、女がスサノヲの妻になるのは苦と死を意味する。
京の都の総鎮守である以上、皇室の主神なわけだけど、そのスサノヲがこういう女性迫害的な神格なので、日本は女の人権がないがしろな男性原理の国なのである。そして牛頭天皇だからバアルであり、牛の角は三日月に形が似ているので弓月君でもある・・・ということ。おそらく天皇家の宮中祭祀というのは、自らがスサノヲになる、スサノヲが憑依するというものではないか。
ちなみに祭祀の「祭」の字のつくりは、「月=肉」「又=刃物を持った手」「示=祭壇」であり、つまり祭壇の上で犠牲獣(人身供犠?)を屠る、からできた象形文字である。これがユダヤ教の幕屋の中で行われたのと同一なのは言うまでもない。

繰り返すように日本では民俗学に自由はない。何を書いたところで推測に過ぎない。

真間の手児奈

市川真間に真間の手児奈が祀られているが、その説話を読むと「真間の地は海辺にあり、葦の葉がたくさん生えていた」とあり、また「手児奈の通る道には葦が生えていた」とある。

葦というのは、ヒルコが葦の葉の船に乗せて流されたことや、モーセが葦の葉にくるまれて川に流されたという、その葦である。また芦ノ湖には広島の厳島神社と同じ形の鳥居が建っていて、厳島神社は平氏の氏神だから、海民の平氏(と秦氏)の象徴でもある。
葦というのはヒルコとモーセの説話に登場するのでユダヤ人の船のメタファーであり、それゆえ葦も芦も同じなので、同じく海民の平氏(と秦氏)の土地である厳島神社や芦ノ湖には同じ鳥居が建っている。

葦の葉の生え茂る真間の土地で真間の手児奈が大勢の男に求婚されて命を絶ったというのは、葦の葉で象徴される平氏(と秦氏)の男たちに、美しい女が凌辱されて悲観して井戸に身を投げた、という出来事のメタファーである。

名古屋と「八」

高句麗(高麗)の始祖神話に「熊と虎が争って熊が勝ったので、これを始祖とする」とあるので高句麗は熊トーテムだが、クマもコマも子音ならKMで同じ。熊は蜂蜜が好物なのでクマとハチはセットで、北極星はこぐま座で、船乗りは夜空の北極星を目印に航海するから、「8」のフェニキア人はこれに当たる。
八切止夫は「庶民は四つ八つ」といい、四と八はいわゆる賤民と関連する語と主張する。「八」が何に由来するか、フェニキア人なのか、ガネーシャを我那鉢底(がなはち)と呼ぶことに由来するのか。鉢屋衆の山中鹿之介が「我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈ったので、ハチと三日月はセットである。また新國民社の書籍に「八ヶ岳は穢多地だ」とあった。

現在の名古屋市章は漢字の「八」で、八切止夫は「名古屋は八の民の町である」という。名古屋という呼称は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に九州に名護屋城を作っている。
豊臣秀吉は「豊の臣」なので豊の国つまり大分の宇佐八幡宮(宇佐神宮)の配下で、五七桐の紋章は現在の政府も使用しているが、宇佐神宮は古来強い権勢を持っていたといわれる。「大分=大いなるワケ」「別府=ワケの府」で、和気清麻呂は道鏡事件で宇佐八幡宮に関連するし、八幡神社の祭神の応神天皇は「誉田別命」で「ワケのみこと」だから、宇佐神宮はもう一つの中枢のような立ち位置だった?

愛知県と静岡県が人権抑圧について問題になるケースが多く、愛知県からの法曹関係者がしばしば要職につくが、愛知と静岡は徳川家にゆかりのある県。いわゆる徳川家康影武者説で「世良田二郎三郎」という名前が上がるが、広島県の世羅町でかつて「女教師一家神隠し事件」があり、世羅高校への同和団体の干渉も問題になった。

また「H」の発音はアイチだが、Hはアルファベットで8番目である。

美人とブス一考

俺は基本的に女はバカだと思っているし、実際に歴史上に名を残した女というのはほとんどおらずもしいても悪名だったりするケースが多々ある。もちろん男とは根本的に異なる生物なのでそれが高低とか優劣とか善悪とかとイコールではないだろうが、基本的に女はバカだと思う。
これから女というものに関して俺の主観を伴った多少の一般論を述べてみよう。

まず女の魅力というのは多分にその外見に左右されることが多い。つまり「美人」と「ブス」である。もちろんそれだけではなく知性と教養、人間性や人格、能力や才能によっても左右されるが、そういった要素は外見やパッと見だけではわからないので、やはり最初は外見によって女は異性つまり男を惹きつける(今回は異性愛者のみに関して論を述べるので、同性愛者に関しては触れない。よって女を惹きつける女というものに関してはノーコメント)。
外見の良い女は、若い頃は「可愛い」と言われ大人になれば「美人」と呼ばれることが多いだろう。こういう「美しい女性」は女性にとっての第一要素である外見が良いという事実により、基本的に他人から卑見されることがまずない。よって他人からマイナスイメージで見られることが第一印象においては少ない。
ではブスはどうかというとこの正反対で、若い頃からそして大人になっても「ブス」と思われ続ける。当然他人からの第一印象も「ブスな女」というものであり、卑見されてマイナスイメージを持って見られることがほとんどである。
外見というのは二つの要素に起因する。先天性と後天性である。前者は遺伝的な要素に拠るところが多く、血縁や血筋また遺伝子にも依存する。後者は所謂「人間性が顔に現れる」というやつで、正しい人ほど良い顔をしていて邪悪で下劣な人間ほど卑しい醜悪な顔をしている、という一般的な事実のことである。一例を挙げると金◯日や日本の某政治家が人前に出るのも憚られるが如き人相をしているという事実のことだ。
もし美人がいたらその人は「遺伝で顔が良い」か「人間性で顔が良い」かであり、ブスがいたら「遺伝で顔が悪い」か「人間性で顔が悪い」かである。もちろんその両方が伴っている場合も多々ある。
しかしここで一つ付け加えると「精神は肉体を超越する」という事実の存在である。これに関しての科学的・医学的な根拠の是非は置いておいて、事実として科学が万能足りえない以上これまでの人類史における種々の報告事例からそれは事実だと言わざるを得ない。
つまり人間性というものが当然その各個人の精神に左右される以上、仮に遺伝的に外見が良かったとしてもまた悪かったとしても、それはその女性の精神つまり人間性によって後天的に変化し得るということである。
ということはだ。もし美人に生まれても、人間性が良ければ美人のままで人間性が悪ければブスになる。またブスに生まれても人間性が良ければ美人になり得るし、人間性が悪ければ輪をかけてブスになる。こう断言して良いと思う。

ここで今までの論を簡潔にまとめると以下のようになる。

 【美人1】=生まれた時から美人で、尚且つ性格が良い人
 【美人2】=生まれた時はブスだったが、性格が良いので美人になった人
 【ブス1】=生まれた時は美人だったが、性格が悪いのでブスになった人
 【ブス2】=生まれた時からブスだったが、性格が悪いので更にブスになった人

補足すると世の中には「整形美人」というのも一応いるがこれは例外であり、整形をしなければ当然ブスだったわけだから、ブスのカテゴリーに分類してよいと思う。1と2のどちらに属するかはその人間性に拠る。

さて、では一般社会における美人とブスの存在状況は果たしてどうだろうか。
一応俺は一昨年までずっと日本で暮らしてきたので日本社会のことはよく知っているが他の国のことはまだあまり知らない。よって今回は「日本社会における日本人の女の中での、美人とブスの存在状況」に限定して論を進めたい。
まず美人であるが『美人1』は最も数が少なく、もしいれば「高嶺の花」と呼ばれることもある。内面も外面も優れているため欠点が無いと言ってもよい。人間性が良いためそれが外面に更に磨きをかけ一層の美しさを醸し出す女性のことである。おそらく探し出すのは非常に困難だろうしもしいても求婚者は最も多いだろうから、最も競争率が高くまた獲得が困難な女性である。
次に『美人2』は所謂「性格美人」である。確かにブスかもしれないが性格が良いので男に人気があり、そのため更に人間性が屈託無いものになり性格が良くなる。その結果本来の外見よりも美しく見えブスだという印象をあまり持たれない。よって普通に求婚される機会も多いし人間的にも正常な女性である。
『ブス1』は素材としては正常なのに生きる環境や人間関係、また受けた教育や本人の人間性により、精神が常人とはやや異なった方向へ向かい、それが外面に現れ不安定な表情や違和感のある顔の各部位の配置をしている女性のことである。本来の外見よりもブスに見え精神の発露たる性格も悪い。所謂「性格ブス」のことである。このような女性は特殊且つ多種多様なコンプレックスを抱えているケースが多い。
『ブス2』は生まれながらにしてブスであり尚且つ生活環境・人間関係・受けた教育などの後天的な要素により更に人間性が悪くなり、それが外面に発露してどうしようもないブスになった女性のことである。ブスであれば当然周囲からの「あの人はブスだよね」「あいつブスだよな」という有言無言問わない視線を受けることになる。この際人間性が良いつまり精神的にタフで前向きな考えを持っていればそれを克服して『美人2』になることができる。しかし人間的に矮小かつ脆弱で卑屈な思考をしている者は更に自己を卑下し精神的に降下していって、それが外面に現れてどうしようもないブスになってしまう。「顔も悪けりゃ性格も悪い」というやつである。それがこのケースである。

大きく4つに分類したがもちろんこれは極論的な類型化であり「大体この4つに分類できる」ということだ。多かれ少なかれ女性というのはこの4つに分類できる。
つまり簡単に言えば「女性の美はその人の性格つまり人間性に左右される部分が大きい」と言うことができるわけだ。「性格の良い女=美人」「性格の悪い女=ブス」と言っては言い過ぎだが、「性格の良い女=もてる・魅力的」「性格の悪い女=もてない・魅力が無い」というのであれば概ね納得できるだろう。世の男の大半はこう思っている(多分)。悪い人間性は他の全ての長所をスポイルする。
種々の情報と経験を総合して得られた俺のこれまでの認識によると、数の上では「美人2>ブス1>ブス2>美人1」である。つまりほとんどの女性は元来の顔はそれほど良くないが人格的にも特に問題はない。しかし普通の顔をしているのに性格の悪い女とかブスの上に性格も悪い女も結構いて、顔も性格も良い女なんてほとんどいない、ということだ。
日本という社会を観察すると概してブス1が最も性格的には陰険であるケースが多い。中学校や高校で虐めをしてるような女というのは大抵このタイプだと思われる。ブス2が虐めの対象になるケースは少なくないがその場合男から幼少時に虐められるケースが多いようである。しかし男はローティーンにもなると身近な女性を(性の)対象にしてマスターベーションをするのが普通なので、それくらいの年齢になるとブス2には関心を持たなくなる。美人1には二種類あり、何らかのバックボーンがあれば自身に正当な自信を抱きながら成長できるが、無い場合には特にブス1の虐めの対象になるケースがある。美人2はほとんどの男が10代20代に友達になったり恋人になったりするような言わば普通の女性である。

おそらくほとんどの男が無意識に思っていることだろうが、自分のことを可愛い・美人だと思っていない女はヤバイものだ。女は化粧をする生き物だが、多少素材が悪くても自分に自信を持って化粧をして男を惹きつける努力をするとか、外見を良くすることに情熱を注ぐとか、鏡を見て自分にも魅力があるんだと思うとか、そういう発想が無いとはっきり言って異常だと思われる。もし「自分はブスなんだ」と本気で思って疑わず、自分はブスだから何をしても無駄なんだとか思っている女がいたら、しかもそれが成人した女性だとしたら、これは相当な程度でヤバイ。こういう女はただでさえ男から疎遠に扱われるのにそれを改善せず諦めているので、自分にあまり関心が無い。
自分への関心が強い人は他人への関心が薄くよって自己発展にその精力を注ぐため、生きた期間と比例して能力が高まる傾向が強い。しかし自分への関心が薄い人は逆に他人のことばかり考えているため自己の発展という発想が希薄で、いつになっても能力が低いままである場合が多い。汎世界的にどの分野においても優秀な人ほど自己完結的で他人のことをあまり意識していないのはこのためである。早い話が「他人に関わっている暇は無い」のだ。
女性に関しても同じで、自己発展つまり「自分を美しく見せよう」という意識のある女性はそれほど他人に関心を持たず自分の美を高めることに注力するため、美しさは徐々に高まりそれゆえ更に人間的にも良くなり更に美しくなる。好循環である。
しかし「鬱屈しているブス」と「諦めているブス」は「精神が悪い」という共通項を持っているので、更にブスになっていき当然死ぬまでブスになり続ける。こういう女の行き着く先は「醜悪な性悪ババア」だ。成人したところで改善される点はほとんど無いので当然その精神の発露である性格が悪く、また他人のことばかり考えているのでいつでも誰かのことを攻撃していたり悪口を言っていたり嘘を吐いたり他人を陥れて喜んでいたりする。日本ではこういう女性のことを「お局様」と古くから呼称してきた。形容表現を伴った語で表せば「結婚できない女」である。
人間性と知性は必ずしも一致せず、最低の人間性を持った者が高い知性を持っていることがある。しかし低い知性しか持たない者が高い人間性を持っていることはほとんどありえない。「頭の良い奴には善人も悪人もいるが、頭の悪い奴はほとんど悪人」ということである。これは当然で、頭の悪い奴は善悪の区別がつかないので悪事ばかり働く。頭の良い奴は善悪の区別がつくが中には悪いことをして何らかの利を産もうと企む者がいる。そのためである。
これを追加要素として考えると「頭の悪い女」は概ね人間性も悪い。前述の類型化から「性格つまり人間性の悪い女=ブス」なので、「頭の悪い女=ブス」すなわち「ブス=頭が悪い」と言うことができる。したがって女性人口全体における単純な比例式により、頭の良い女性ほど美人で頭の悪い女性ほどブスだ、と結論することができる。

よって男は単純に美人を選べばいいのであって、ブスは選ぶべきではない。何故なら人にとって最も大切なのはその人間性であって、性格の良い人間的にも正常な所謂「いい人」と結婚しないと後々が大変だからである。
「結婚は人生の墓場である」というのが誰の言葉だったか忘れたが、それは世の大抵の人がちゃんと相手を選ばずに結婚しているからだろう。夫婦間の関係も維持できないのでは正常且つ正しい人とは言えない。何故なら子孫を残すことは生物の最も基本的な本能であり義務であって、動物でさえドメスティックバイオレンスも離婚もしないからだ。

最後であるが、何事にも「例外中の例外」がある。そして世の中には計り知れない事実と現象がある。全てを類型的に考えたりステロタイプに考えることは間違いであり本稿についても同様である。しかし大半以上のほとんど全ての人(間)は「例外」ではないので、概ねこのように考えて問題無かろう。

[2009/01/16]