福音派教会について

僕は20年以上前から教会に(時々)行ってるけど、以前は「福音ルーテル教会」という教会に通っていて、そこで(なんとなく)洗礼まで受けた。
他所の教会と比べて、福音派教会の特徴なのかな、と思うところを書いてみる。

その教会は、礼拝堂の前壁に十字架が飾られているが、その上にイスラエル六芒星が描いてある。「十字架の上にイスラエル六芒星」というのはよく考えると変で、つまりユダヤ人至上主義ではないか?と勘ぐってしまう。
そう思う要素は他にもある。礼拝の時に礼拝式文という台本みたいのを朗読するのだが、その文面に「私たちは生まれながら罪深く、汚れに満ち~」とか、「みたみイスラエルの栄光です」とか書かれている。
自分が最低の矮小な存在だと自分の口で言わされたり、ユダヤ人に忠誠を誓うようなことを言わされたり、僕は当初から「なんでこんな変なことを言わされるんだろう?」と疑問に思っていた。まるで信仰を利用して言うことをきかせるためのようだ。
また牧師の礼拝時の服装は、腰に紐を巻いているが、これはペルシャ(ゾロアスター教)の影響である。

福音派はエバンゲリックというが、日本でも海外でもキリスト教の関係者は、ユダヤ人は選ばれし民族と信じている者が多いように思う。でも福音ルーテル教会は、礼拝の内容から考えても、特にそれが顕著だと思う。
ルーテル派はドイツや北欧で盛んな宗派らしいが、名前にマルティン・ルターとついている通り、宗教改革の一番初期の考え方を受け継いでいるという。だから聖書第一主義で、プロテスタントとしては最もカトリックに近い古い考え方という。福音派も聖書第一主義というが、聖書を文言通りに信じているのでユダヤ人至上主義なのかもしれない。

なお、ルーテル派の「聖書のみ」「祈りのみ」という考え方が、日本の浄土真宗の「念仏のみ」という教えと近いとはよく言われるようだ。

ITと三叉戟

昔、マイクロソフトとサン・マイクロシステムズは犬猿の仲でなにかと喧嘩してたけど、WindowsXPのテーマはLUNA、つまり月だった。それにシェル統合されていたのがIEで、レンダリングエンジンはTrident、つまり三叉戟だった。

アーリア人の主神であるシヴァはソーマナータつまり月の王で、月神である。WindowsXPがTridentを搭載するのは、月神シヴァが三叉戟を持つのに相当する。
シヴァはその武器に金剛杵=ヴァジュラを持ち、これは雷鎚を神格化したもの。要するにGod of Thunderとは、破壊神シヴァのことである。それが三叉戟を持ち、カーリー/ドゥルガーはそれを彼から借りて、水の中の龍を刺し殺す。

コンピューターとインターネットとWindowsを使って悪魔を倒すのが、今回のお話。LUNAのTridentで悪魔を刺し殺す=シヴァが三叉戟で悪魔を刺し殺す。まさにそれが破壊神・God of ThunderによるHammer to Fall。日本でシヴァに対応するのは、大自在天と名前につく菅原大自在天道真、つまり天神さま。
僕の本籍地には天満宮が建っている。

太陽神と月神が協力して悪魔を倒すのが、インドの「水の中のマヒシャというアスラを三叉戟で刺し殺す」神話である。

精神病院は体制の強制収容施設

精神病院に長期入院させられている者は、数カ月か下手すると数年かそれ以上という人間がいっぱいいる。精神科医は「病気を治療する」という発想はゼロで、モルモットにされた「患者」を閉鎖病棟で飼って、適当にクスリを投与して「まだ治ってない」と言い続けてそこに監禁しているだけ。入院患者が多いほど病院は儲かるし、精神病院の体裁として入院患者が一定数いないとならないから、モルモットにされた人間を入院患者として利用しているだけである。
ではどういう基準でモルモットが選ばれるのか?これは謎である。体制に「気に入らない奴」とみなされたとか、偉い人間の恨みを買ったとか、そういう人間の子供とか、そういう者を適当に選んで、体制が工作して無理やり入院させているケースが多いと思う。

精神病院が体制・警察と結びついているのは言うまでもない。暴れている人間を保護するという名目の場所でもあるし、合法的に市民を長期間監禁しておける施設だから、ある病院では「政治犯が収容されている」と聞いたことがある。
また、大きな精神病院には患者として警察関係者が入院しているケースがあるが、これは他の患者を見張るための要員としてわざと入院しているのかもしれない。

精神病院が医療施設でもなんでもなくただの監禁施設なのは、入院患者への扱いを見ればわかる。以前書いたように精神病院にはナースコールの設置義務がないから、なにかトラブルがあっても看護師を呼ぶ方法がない。だからI郷岡病院ではベッドに拘束された患者がトイレに行きたくても行くことができず、皆そのまま漏らしていた。看護師が気づけば処理してもらえるが、中にはわざと気づかないふりをしたり意地悪して処理しない場合がある。そういう場合は、ずーっと汚物をベッドに垂れ流したままで、部屋中に悪臭が漂っていた。
また医師や看護師に特別扱いしてもらい、頻繁に外出している患者もいるし、逆に集中して苛められて、頻繁に保護室に入れられている患者もいる。これも「その身内にどんな人間がいるか」で変わるし、その患者がなにかの要員であれば優遇される。

精神科医はたいてい「自分は市民を監禁する特別な資格と権利を有しているのだ」と思い込んでいる。警察と結びついているから、自分は逮捕権を持っているのだ、誰のことでも拘束監禁できるのだ、何年何十年と閉鎖病棟に監禁しても体制のお墨付きがある・・・という考えである。
病気を治療するために入院させるなんて発想はないから、退院できるかどうかは医師の気分次第だし、上からの命令で退院も入院延長もありうる。「この人はどういう基準で長期入院してるんだろう?」というのは、俺にもサッパリわからなかった。

体制が工作して市民を精神病院に通院させ、そのまま入院させて長期間監禁する、というモデルケースは日本で確立していて、そのための実行部隊が一般人に紛れているBとK。コイツラが集団ストーカー/ガスライティングを行い、無理やり精神病院に通院させるわけだが、相談しに行く精神科医とカウンセラー自身が体制・警察と結びついているから、要するにマッチポンプと言えよう。
2000年代の2ちゃんねるの警察板に、興味深いレスがあった。
「警察なめてんのか。精神病院にぶち込むぞ」
「おまえら集団ストーカーをやってる警察官がみんな楽しんでやってると思うなよ。誰も死ねなんて言ってないだろ、病院行けって言ってるんだ。その優しさに気づくべき」

精神科では何も言わないのが吉

精神科の診察の際、真面目に答えすぎるのはよくない。医師は揚げ足取りというか、常に「精神病だと言いがかりをつける口実」を探しているので、迂闊なことを言うとそれを理由に「病状が悪化した」などと言いがかりをつけられる。彼らは患者(というかクライアント)を通院させるための口実さえあればいいので、それを与えてしまうと向こうの思う壺になる。

いわゆる統合失調症について、どういう兆候がその症状なのか、特段の基準はない。「辻褄が合わないことを言っている」のはその理由にされるし、「変わったことを言っている」「独特なことを言っている」だけでも、病気ということにされてしまう。
たとえば俺の場合、外国にいた時にいろいろ不可解な目にあった。そういうことを医師に話すとどうなるか。普通であれば当然、それが事実かどうかの確認作業がまずなされるべきである。もし警察なら、その言動の裏を取るために捜査するだろう。しかし精神科医はそんな作業をするはずもなく、ちょっと変わったことを言っただけで「あなたは統合失調症だ」と認定する。
俺の場合は、I郷岡病院のM宅院長に「海外でこういう目にあった」と言ったら、彼は両手を上げてヒラヒラさせ「統合失調症!本人に自覚な~し!」と叫んだ。その時俺は「もし事実であるのが証明されたらどうするのか」と思ったが黙っていた。警察なら裏を取るだろうが、精神科医は「そんなことあるわけない」と思ったら精神病に認定する口実にする。

この「そんなことあるわけない」は、人によって様々だ。いろんなことを知っている医師もいれば、何にも知らない医師もいる。人によって「そんなこと」の幅はぜんぜん違う。だからその医師が理解できないことや、ちょっと不可思議なことを言うともうオシマイ。「世間の常識に照らし合わせてあるはずがないから」という理由で、精神病に認定する口実にされてしまう。
そして厄介なのは、精神科医は誰でも精神病に認定する「資格持ち」だということ。たとえ真っ当な人間であっても、正常な人間であっても、精神科医が病気だと言えばその人は精神病にされてしまう。彼らは誰のことでも精神病者に『認定』できる「資格」「特権」持ちなのだ。

また精神病院というのは、暴れている人を強制的に入院させる保護所の役割もあるし、世間で迫害されている人を監禁する強制収容所の側面もある。だから当然警察と結びついているので、精神科医・看護師は「自分は警察が味方についているんだ」と思っているし、警察が味方についている人間にありがちな「自分は何をしても許される」という思考をしているケースが多い。
それゆえに、自分が理解できないことや違った考えは全部間違ってるんだ、自分は全部正しいんだ、もしそういう人間がいたら入院させてしまえ、いざとなったら警察が味方してくれる・・・こういう考え方である。逆らったら入院させてしまえばいいんだ、というのが彼らの本音。

よって、精神科医と話すときには、極力何も言わない、これに限る。普通に話しても口実を探されるし、友好的に話してても口実を探されるし、うっかり変なことを言うと口実にされるし、であれば隙を見せないようにするしかない。
彼らは人間的な信頼関係を築こうなどとこれっぽっちも思っていないので、信用するだけ無駄。狭量な人間は理解できることも少ないので、余計なことは話さないほうがいい。

民俗学について小意見

民俗学の本を読むと、今でも新しい知識が得られて面白い。民俗学つってもお硬い学者の本でなく、俗っぽい本とか対談本とか、そういうのも含めて。日本は民俗学が正当な学問ではないので、知識を得たければいろんな本をあたる必要がある。
特に性風俗に関する論考を読んだら面白かった。貴族や天皇の住居の「寝殿造」というのをなぜ寝る殿と書くかといったら、セックスが儀式に含まれているからだ、とか。また賭博のテラ銭というのは、昔は賭博が寺で開かれていたからだ、とか。また現在では相撲は神事といわれるけど、昔は神社の境内で見世物として相撲をやっていて、ただの興行に過ぎなかったのに、神社で行われていたのでいつの間にか神事にまつり上げられた、とか。

性風俗の民俗学というと、よく「日本はもともとフリーセックス的な文化で夜這いが一般的だった」とかいうけど、これの元ネタは赤松啓介で、この人は日本の性風俗についてデマを流す役目も一部で担っていたフシがあるので、鵜呑みにしないほうがいい。だいたいこの人の論文の初出は部落解放同盟の機関誌であることが多く、それゆえ日本の性風俗がもともと堕落したものだったとデマを流布しているフシがある。

日本で民俗学をやれるのは「決まった人間」だけで、ではどういう人間が?というと、本屋で民俗学の本を手にとって前書きを読めばわかるが、次の一文が必ず書いてある。「・・・戦争中に田舎に疎開すると、そこの子供たちに苛められた。しかしその土地の被差別部落の子供たちだけは、自分をかばってくれた」。この一文が必ず書いてあるんだよね、もう何見ても必ず書いてある(笑)。
だから日本で民俗学を仕切っているのは解放同盟で、なぜかといったら彼らが事実を解明されると困るから。彼らの仲間でなければ民俗学はできないし、彼らに都合の悪いことを書くことも許されない、というわけ。

日本の都はもともと京都で、その総鎮守は八坂神社で、その祭神はスサノヲノミコトだけど、スサノヲがどういう神格かといったら早い話がヤ◯ザみたいなもの。属性として荒ぶる神・海原の神・暴風雨の神・酒の神などがあるけど、高天原を追放される際に「馬の死体(牛の死体?)を投げ込んだら、機織りの女が女陰(女性器)を突いて死んだ」のからもわかる通り、女を凌辱するような神格。また八岐の大蛇説話でクシナダヒメが櫛に姿を変えるのは「櫛=苦と死」だから、女がスサノヲの妻になるのは苦と死を意味する。
京の都の総鎮守である以上、皇室の主神なわけだけど、そのスサノヲがこういう女性迫害的な神格なので、日本は女の人権がないがしろな男性原理の国なのである。そして牛頭天皇だからバアルであり、牛の角は三日月に形が似ているので弓月君でもある・・・ということ。おそらく天皇家の宮中祭祀というのは、自らがスサノヲになる、スサノヲが憑依するというものではないか。
ちなみに祭祀の「祭」の字のつくりは、「月=肉」「又=刃物を持った手」「示=祭壇」であり、つまり祭壇の上で犠牲獣(人身供犠?)を屠る、からできた象形文字である。これがユダヤ教の幕屋の中で行われたのと同一なのは言うまでもない。

繰り返すように日本では民俗学に自由はない。何を書いたところで推測に過ぎない。

真間の手児奈

市川真間に真間の手児奈が祀られているが、その説話を読むと「真間の地は海辺にあり、葦の葉がたくさん生えていた」とあり、また「手児奈の通る道には葦が生えていた」とある。

葦というのは、ヒルコが葦の葉の船に乗せて流されたことや、モーセが葦の葉にくるまれて川に流されたという、その葦である。また芦ノ湖には広島の厳島神社と同じ形の鳥居が建っていて、厳島神社は平氏の氏神だから、海民の平氏(と秦氏)の象徴でもある。
葦というのはヒルコとモーセの説話に登場するのでユダヤ人の船のメタファーであり、それゆえ葦も芦も同じなので、同じく海民の平氏(と秦氏)の土地である厳島神社や芦ノ湖には同じ鳥居が建っている。

葦の葉の生え茂る真間の土地で真間の手児奈が大勢の男に求婚されて命を絶ったというのは、葦の葉で象徴される平氏(と秦氏)の男たちに、美しい女が凌辱されて悲観して井戸に身を投げた、という出来事のメタファーである。