②インドの太陽信仰と月信仰

インドにおける太陽信仰と月信仰の対立

インドにおいて太陽信仰と月信仰の対立が見られるのは、まず古代の十六大国時代である。この時代に「各国が太陽信仰側と月信仰側に分かれて争っていた」ということが言われているが、どこまで詳細が判明しているかはわからない。
アーリア人は元々ユーラシア大陸の中央部に居住していて、南下した者がイラン・アーリア人とインド・アーリア人になったというのが定説である。「アーリア」というのは「高貴な」という意味で、ナチズムがこの言葉を盛んに使用したため、現在では印欧語族という呼称が採られることが多い。イランという国名はアーリアンという言葉に由来するというのはよく知られている。アーリア人がインドに来た後に十六大国時代になり、その後結局アーリア人がインドを支配しているから、「アーリア人の側の信仰」がインドの支配原理になったわけである。

ではアーリア人は太陽と月どちらの側であったのか。インドの三大神として、ヴィシュヌ・シヴァ・ブラフマーの名がよく挙げられる。しかし実際にはブラフマーはその名の通りただのバラモンの神で、現在の存在意義を考えても、ヴィシュヌとシヴァが二大神と言ってしまってよいだろう。ヴィシュヌを描いた絵を見ると肌の色が白く、シヴァを描いた絵は肌の色が黒いが、ではどちらがどちらの、つまりどちらがアーリアンの神でどちらが土着の人々の神だったのか。
ヴィシュヌは太陽神であり、その化身としてクリシュナやラーマなど、とても人気の高い神を取り込んでいる。ブッダ(というより仏教の開祖のゴータマ)も化身の一人だが、ヴィシュヌ教の中での存在は否定的なものらしい。クリシュナの別名がダーサ(奴隷)で、クリシュナもラーマも当然土着の神である以上、本来ヴィシュヌはアーリアンの神とは呼べない。ではシヴァであるが、別名がソーマナータ=月の主であるから、当然月神である。仏教に「天部」というのがあり、「天」=DEVAで、ヒンドゥーの神が仏教に取り入れられて「~天」という名になったものである。この中にはインドの主要神はほぼ取り入れられているが、クリシュナとヴィシュヌは入っていない。この両者は太陽神であるから、それが取り入れられないのは仏教が(元々)月信仰側の思想だからである。もっと言えば、DEVAは「神」と訳されるが正確には「アーリア人にとっての神」であり、普遍的な神ではない。よって、ヴィシュヌと特にクリシュナはDEVAではない。彼らは土着系の神だからである。結局アーリア人が月信仰であり土着の人々が太陽信仰であるため、アーリアンによる思想であるバラモン教や仏教は月信仰で、それ故クリシュナやヴィシュヌのような太陽神は除外された、といえる。

ではシヴァがアーリア人の神だと断定してよいかというと、それは即断しがたい。基本的にシヴァにはアーリアンの要素と土着系の要素が混在しており、確かに月神ではあるが、どちらの側だと明確には判断しがたい。シヴァにはいろいろなシンボルが付随している。「月(三日月)・牛(角)・蛇・三叉矛・第三の目」である。よく考えるとこれらは現在世界中でばらばらになっている要素であって、それらが全て集合している。例えばこれらのシンボルの各々を持っている各部族の部族集合体の神だったのか、それはよくわからない。現在これらの要素が世界でばらばらになっているのなら、インドから皆出て行ったと考えることも出来るが、その確証はどこにも無い。肌の色はこの際重要ではない。ヴィシュヌは白くシヴァは黒いが、シヴァは体に火葬場の灰を塗っているため、塗らなかったら白いのかもしれない。アーリア人がインドを支配している以上、善なる存在が肌が白く悪なる存在が肌が黒くないと困るのは当然であろう。アーリア人の肌は白いからだ。
普通に考えるなら、元々インドには土着の人々しかいなかったわけで、そこにアーリア人が南下してやって来る。月信仰を持ったアーリア人が太陽信仰を持った土着の人々と争いになる。土着の人々の中にはアーリア人の側に付く者もいただろう。そして太陽信仰と月信仰の側に分かれて争った結果、月信仰の側が勝利し、太陽信仰の人々は最下層に落とされる。ガンジーがインドのアウトカーストのことを「ハリジャン」と呼び、「ハリジャン=神の子」と訳されるが、これは正確ではない。「ハリ」はヴィシュヌ・クリシュナの意味であって、正確には「クリシュナの子」という意味である。よって単純に考えればアウトカーストというのは古代の太陽信仰の人々の末裔なのかもしれないが、それを証明する手段は今のところ無い。

クル族について

よく本屋へ行くと、古代の超文明とかに関する本が売っているが、不思議なほどインド特にクル族に言及しているケースが多いように思う。十六大国時代にクルという国があり、「クル」は「kuru」である。よく知られている「マハーバーラタ」の中心となる部族である。マハーバーラタにクリシュナが登場し、バガヴァットを説くことは非常に有名で、キリスト教の世界でもクリシュナやバガヴァットの存在はよく知られているようである。しかし多くの人が誤解しているが、クル族とクリシュナは基本的には関係が無い。関係が無いというのは正確ではなく、「クリシュナ=クル族側の神」とは言えない、ということである。
クルはkuruと書くが、今現在は「cr」と書くべきであろう。英単語のcrescent、crazy、crimson、crashなどは、全て彼らに由来する。よって月信仰側の存在であり、クリシュナと同じ側ではありえない。シヴァの職能は破壊=crashで、ブラフマーの職能は創造=create(creation)であるが、「クルの灰」と書いて破壊であるのは面白い。
要するにシヴァがどちらの種族系統の神か判断しがたいのと同じで、クル族もどちらの系統かは判断しがたい。現在英語で「キリスト」と書く際にはchristと書き、hの字が入っているが、これがなんらかの作為や恣意によるものかは各自で考えればよいだろう。

[2008/09/08]

①三重構造モデル

二重構造モデルの欠点

「二重構造モデル」という学説がある。これは故・埴原和郎氏が提唱した説で、主に形質人類学的な視点から、日本人のルーツについて考察したものである。彼は日本列島の古人骨の形質を調べ、次のようにまとめた。『古代の日本に、まず東南アジアから(海路で?)中国へ北上してきた南方系モンゴロイドが、朝鮮半島を経由して日本に渡来し「第一層」となり、その後北方系モンゴロイドが朝鮮半島を経由して日本に渡来し「第二層」になった。』…というものである。この説は非常に有名なので検索すればいろいろ出てくるかと思う。
しかし私は、この説は中途半端だと考える。理由は、
①元々日本に住んでいた人々のことを考えていない=「第一層」渡来以前に日本列島に住んでいた人々のことを考慮していない
②神話学や神社神道のことなどを考慮していない
③何らかの作為的な意図が感じられる気がする
といったことである。渡来系の人間たちが日本のマジョリティであるというのは正しいと思うが、それが100%だというのは明らかにおかしいと思う。よって今回、自分なりにこの考え方を補足してみたい。

二重ならぬ三重構造モデル

私は埴原氏の二重構造モデルを補足して考えたが、二重構造ではなく三重構造モデルという方が正確だと思う。
まず日本には、渡来系民族以前に「原日本人」たる原住民がいたはずであり、その人々はアラハバキを祀っていたと思われる。手塚治虫の「火の鳥」でも描かれている通り、元々日本には太陽崇拝・大地母神崇拝のアラハバキを祀る人たちが日本列島全土に住んでいたと思われ、そこではアラハバキを太陽神として崇める風習があり、その都は出雲にあったはずである。もちろん他の原住民もいただろうが、それが「土蜘蛛」だったりする可能性もある。私はこれが「第一層」だったと思う。
そこに、朝鮮を経由して、「第二層」が入ってくる。私はこれが秦氏(を中心とする渡来人)だったと思う。秦氏の詳細に関しては別の機会に譲りたいと思うが、この第二層の秦氏が、新羅仏教を持って九州の宇佐つまり国東半島に渡来してきたはずである。そして宇佐を拠点にして、いわゆる「秦王国」を作る。むしろ「前期秦王国」という感じだろうか。後述するが、秦王国は後に移動するからである。
秦氏は宇佐を拠点にして、南北に伸張していく。まず南だが、九州はもちろんのこと、さらに南の沖縄まで勢力を拡大したと思う。当然この過程では、原日本人であるアラハバキ崇拝の人たちと争いになる。アラハバキ崇拝の人たちは主に北方へ逃れていく。秦氏は沖縄まで征服し、原住民の人たちを征服して奴隷にしたのが、現在まで残る「家人(ヤンチュウ)」だろう。
一方、北へ伸張した秦氏は、まずアラハバキ崇拝の人々の都である出雲を陥落させる。それが、「スサノヲのヤマタノオロチ退治」の原型である。スサノヲは朝鮮と関連があり、渡来人である秦氏の主神であるといって差し支えないからだ。彼らが出雲の原日本人を陥落させた事実が「蛇を退治する神話」として記録されたのであり、出雲国風土記にこの話が載っていないのは、出雲人にとっては不名誉な話だからだろう。出雲を征服すると秦氏は拠点をそちらに移す。そうすると、現在の島根県・鳥取県~広島県・岡山県の一帯の広大な地域が秦氏の拠点になる。それがいわゆる「秦王国」、もっと言えば「後期秦王国」である。
秦氏はさらに勢力を広げていき、やがてアラハバキ崇拝の人々は東北まで逃げ、蝦夷になったと思う。「出雲でズーズー弁が話されている」とよく言われ、松本清張の「砂の器」はそれをモチーフにした作品だが、出雲人が北日本へ移動したからだろう。蝦夷を「毛人」と書くが、「家人」「毛人」ともに「けにん」と読め、同じ人たちだと思われる。意味は「外人」「下人」だろうか。この人たちはアラハバキ崇拝を持っているから、北方に逃げる際、アラハバキ神社を作りながら逃げて行く。秦氏はそれを追いかけて征服していき、征服したアラハバキ神社に自分達の祭神であるスサノヲを祀って行く。そのため東日本ではアラハバキとスサノヲが合祀されているケースが多いのだと思われる。共に「客人神」の性質を持っている。
そして日本を征服した「秦氏を中心とする渡来人たち」は日本の支配層になるが、そこに「第三層」の北方系モンゴロイドが渡来してくる。これが天孫族≒天皇家であり、彼らが渡来した際に秦氏から天孫族に権力の委譲が起こる。それが「国譲り」だろう。
埴原氏の説では、彼らは日本列島の真ん中辺りつまり畿内地方に渡来し、その結果その前の層が南北に分断されたとなっているが、彼はそれを「北端と南端の骨の形質が近似している」ことや「アイヌと沖縄人が外見的に近似している」ことなどを理由に挙げている。私がこの説を補足するというのは、要するに第一層(原日本人)が第二層(秦氏等の渡来人)に征服され南北に追いやられ、その後に第三層(天孫族)が渡来したと考えたいということである。よって南北に追いやられた第一層がアイヌと沖縄人(毛人と家人)であり、彼らが似ているのは当然であろう。

補足

「出雲に鉄器文化があった」と言うが、これはアラハバキ崇拝の人々のものではなく、その後ここを拠点にした秦氏のものだっただろう。「荒神谷」という場所、つまりスサノヲにゆかりのある場所から鉄剣が見つかっていることからもそれは明らかである。
あまり知られていないが、国東半島のある郷土館に「紀元前三世紀の鉄剣」が保存展示されているといわれ、これはC14で測定した結果得られた年代だそうだが、九州大学の研究班が当地の産鉄民か何かに案内されて発見したという話である。どこまで信憑性があるのかはわからないが、事実であれば大変興味深い。国東半島には「東光寺」があり、東光教は被差別民と関連がある。また国東の古い地名には、仏教以外のインドに関連する名称も存在するようである。
有名な話に「他の場所で神無月である時期に出雲だけは神有月である」というのがあるが、出雲に神が集まっていた以上そこが都であったわけで、それが何時なのかは、原日本人時代なのか秦氏時代なのかということである。宇佐八幡宮も古来非常な権力を持っていたし、要するに都の変遷というのはあったはずである。
また国譲りといえばサルタヒコだが、秦氏がそれだと考えると、秦氏はHATAだから、HとSは転訛するのでSATAになり、それに「佐田」大神という漢字を当て、そこから「猿田」彦と漢字の当て字が変わっていったと考えられる。「猿=顔の赤い動物」であるが、猿田彦の外観はいわゆる「天狗」によく似ている。手塚治虫の「火の鳥」にも同様のモチーフが出てくる。天孫族≒天皇家の道案内をしたのならそのファミリーの一員に入っていても不思議ではない。
スサノヲは国津神に分類されるが、もし日本民族が三つの層から成るならば、第一層がアラハバキ・第二層が国津神・第三層が天津神であって、国津神といっても日本古来からの土着の神とは必ずしもいえないだろう。スサノヲが新羅や朝鮮と関連があることは有名だし、原日本人の中にも渡来人の側についた者はいたはずだからである。
アラハバキ崇拝の人々以外にも日本にはいろいろな種類の原住民がいただろうし、その中には秦氏の側についた者もいただろう。そういう連中の子孫がいわゆる「サンカ」になったりしたのではないかとも考えられる。有名な三角寛の報告によると、「サンカの集団は神武東征の際に彼らの配下についた」とか「天孫族は鉄器を所有していたので、まつろわぬ民たちは皆負けてしまった」とかいう伝承も残っているらしい。そういった類の本によると「サンカは自在鉤を持ち、ウメガイという両刀の短刀を所持している」とのことだが、福岡市の大宰府天満宮は「梅が枝餅」が名物で、梅干の種を割ると天神様が入っていて、参道には無数の牛の像がある。そこで祀られているのは大自在天であるが、自在天はシヴァのことである。彼らが短刀を所持しているのは製鉄との関連によるものだという。また国譲りのオオクニヌシは大黒天と同じで、大黒天もシヴァである。
スサノヲとシヴァが対応するという説はよく聞かれるが、スサノヲは言うまでもなく「高天原ファミリーにおける厄介者」であり「高天原ファミリー一の荒くれ者」であるが、もしそんな奴がいたらガードマンにするのが最適だろう。伊勢神宮の宮司の苗字にも「荒」がつき、他にもそういう者は要所要所に存在するようである。
原日本人つまりアラハバキ崇拝の人たちは「アラハバキ=太陽神」として「太陽=男」だと見なしていたと思うが、秦氏・天皇家は太陽を「アマテラス=女神」と見なす。これが「アマテラスは元々男神だった」ということだと思われる。つまり日本においても古代には太陽神は元々男神だったということだ。
日本の古語で「蛇」は「ハハ・カカ・カガ」であり、つまり「女=蛇」であった。「アラハバキ」には幾つかの漢字の当て方があるが、もし「荒蛇斬」であるならば、「荒ぶる蛇を斬った」神であり、「荒」が付くため「荒神」と混同する者がいるが、荒ぶっていたのは蛇でそれを斬ったわけだから、荒神つまりスサノヲとは対立する立場のはずである。

日猶同祖論との関係

私は日猶同祖論に肯定的な考えを持っている。スサノヲはバールと対応・関連すると思うし、天皇家や秦氏もイスラエル12支族との関連があると思っている。これに関しては星の数ほどの人間が相当昔から論じてきて、その中には学問的な権威が伴っている者も存在する。このようなことに正当性を感じていても公言するのを避けている人間は、正当な機関にも少なからずいるはずである。もちろん日本とイスラエルだけの関係であるはずが無く、世界各地にその要素が存在する以上局所的に考えるべきではない。
例えばバールは牛神だが、秦氏の執り行うマダラ(マタラ)祭が牛祭であり、その被る面がサルタヒコであることやスサノヲと同一視されること、またヒルコ神話とモーセの関連など、枚挙に暇が無い。しかしこれらに関しては別の機会に譲りたい。

[2007/08/22]