福岡と青森についてまとめ

インドに「バラモンは頭、クシャトリヤは胸、ヴァイシャは腰、シュードラは足」という言葉がある。これを発音と自民党議員に当てはめると「頭=アタ=阿多隼人=小泉純一郎?、胸(と肩は同じ高さ)=胸肩=宗像=古賀誠?、腰=越=越州=森喜朗?、足=芦屋=ボートレース=笹川良一?」(もちろん何の確証もない)。

福岡県の宗像市には宗像大社があり古代航海民である宗像水軍の祭神。東海大第五高校もここにある。クシャトリヤであるなら太宰府天満宮の菅原大自在天道真はシヴァなので同じ。つまり福岡市が梅の花を市章にし中心部を天神地区と呼称する以上、元々福岡は天神信仰の菅原道真の都だったわけで、つまり源氏の拠点でもあった。後になって海から別勢力が侵入し、若宮地区に若宮神社ができたり祇園信仰の櫛田神社ができたり千代町に十日恵比寿神社ができたりして神武系伊都国に占領されてしまった。だから従来の天神系の人たちはなぜかアウトロー的にその名残を残してる。梅津太鼓店とか工藤会とか。

学生時代に「歴史読本」とかいう雑誌を買ったら各県でどの名字が多いかというランキングが載ってて、それに「工藤」姓は福岡県と青森県で妙に多く、両者とも県内でTOP10に入ってたはず。福岡と青森の共通項といったら、青森にはねぶた祭りがあり福岡には飛龍天神ねぶたがあるというし、西鉄薬院駅の近所に「ねぶた~」という酒の看板が立ってた。また福岡市に荒戸という船着き場があったし青森の「東日流外三郡誌」には十三湊や荒吐という語が出てくる。もちろん青森出身の作家の太宰治や板画家の棟方志功は、福岡の大宰府や宗像市と同じだ。

だから青はスペイン語でAZULつまりアッシュールだし、黒も青も一緒なのはインドで「ニーラカンタ」はシヴァが蛇に喉笛を噛まれて「青黒い首(咽)」と呼ばれることや黒い馬を「青毛」と呼ぶなどで自明である。つまりサンスクリットで「黒=Krishna」だから青森というのはおそらく、古代に出雲を都にしてアラハバキ崇拝をしていた国津神の人々が、スサノヲ軍に来襲されて東へ逃れて行きそのままずーっと北へ逃れて、最後に本州最北端の青森まで逃げて立てこもった土地だろう。だから松本清張の「砂の器」で出雲ではズーズー弁が話されていて・・・という論になる。要するにインドのハリジャンが「クリシュナの子」という意味なのと同様、青森は黒つまりクリシュナ崇拝に対応する人々で、それは源氏であるのと同義だ。
だから古代に青森の人々を助けるために、福岡の天神信仰のクシャトリヤたちが宗像水軍の船に乗って青森まで航海し、十和田湖を拠点にする悪い「獣=666」の連中と戦った。その繋がりを示すために両者には今も共通項がいろいろあり、ともに「工藤」姓が多いのだろう。

だからそれが自民党の古賀誠であるなら、彼は宏池会だし佐賀県と長崎県つまり肥前国で最も多いのは「山口」と「古賀」姓である。また彼は日本大学の出身で、小沢一郎は学部は慶應大学だが日本大学大学院に進んでいるので、同一グループだろう。新國民社の本に「田中角栄は後継者に鈴木善幸を指名したが、岩手県のマタギ文化は同一なので当然です」とあった。事実田中真紀子は最後に民主党から出馬したし。

結局何が言いたいかというと、福岡県の工藤会がなぜずーーっとお上に狙われるかといったら、彼らは源氏系であり天神信仰の側なので、その逆である平氏つまり現体制側に敵とみなされてるからだということ。そしてそれは俺と全く同じだ、ということである。(※僕自身はヤクザと一切無関係ですが)

インド的神話観との相似

印欧語族というのはアーリア人のことで、インド神話もその一種。その「ヴィシュヌ・シヴァ・ブラフマー」という三神構造が、現在の世界の状況と重なってる。

ヴィシュヌの職能は「維持」だが、そもそもなぜヴィシュヌが最も大きな存在かというと、様々な化身、特に最大の人気を誇るクリシュナを化身として取り込んだからと言われる。けれどクリシュナは「黒」という意味で「ダーサ=奴隷」という異名を持つ低カーストの神なので、白人種が支配するインドでは主神たり得ない。
そもそも「維持」という以上は現在の世界をそのまま保持するのが役割である。英語のsaviorが救世主という意味であっても語源がsaveなのは「現在の世界を維持してくれることこそが救い」という思想による。この世の中には様々な問題があり、インドなどはカースト制度による厳しい差別があるが、そういう世の中であってもそのまま維持してほしい、それこそが我々にとっての救いである―――と願う者たちがいて、彼らが救世主を意味する単語をsaveから派生させている。それは当然、世の中を支配する者たち以外にない。
クリシュナは「ヤーダヴァ族の指導者が死後神格化された」と言われるが、つまりベースは実在の人物で、おそらくアーリア人=白人種がインドを支配する過程でそれに抵抗した土着の人々=黒人種のリーダーだった人物のはず。だから仮に職能があるとすれば「救済」で、それはchristという語がkrishnaに由来するという説があることからも自明だ。
であればヴィシュヌが「維持」で英語ならsave、クリシュナが「救済」で英語ならsaviorなら、前者は差別社会の保持、後者はそこで虐げられている人々の解放となるが、お互いが化身なのは矛盾している。つまり本来なら救世主であるべきクリシュナを自身の化身として取り込み、囲い込んでいるのがヴィシュヌである。その理由は、白人種が支配するインドで最大の人気を誇るクリシュナを懐柔して利用している、と考えられなくもない。実際には差別社会の支配者たちはその社会がずっと続くことを望んでいて、だからヴィシュヌは「維持」の神で、化身のクリシュナには「救済」をさせずに封じている―――ような感じだろうか。

ブラフマーはバラモンの神で、三大神といっても他二神のような存在ではない。ただバラモンである以上、古代の法や宗教や祭祀を司る役割である。
そしてシヴァは職能が「破壊」で、事実上インドの神話構造は、ヴィシュヌとシヴァが二大神として君臨するような形である。

こういうインドの神話観は、世界がアメリカ・NATO側とロシア・中国側に二極化している現状とシンクロしていて、一目瞭然で「ヴィシュヌ=アメリカ側」「シヴァ=ロシア側」だ。ブラフマーは「ヴィシュヌの臍から生まれた」と言われるのでアメリカ側になるが、その役割から考えて、スター・ウォーズのシスやイスラエル部族のレビ族のような存在だろうか。
シヴァつまり破壊神がクル族と関連があり「破壊=crash」で、現在のロシア側がロシア・中国・イラン(・モンゴル?)を含むので、神話やメタファー抜きでシヴァといえる。一方ヴィシュヌつまり維持神は、アメリカがパックス・アメリカーナ的に世界を維持してきて、その中に様々な問題を含み、化身としてクリシュナを取り込み封じている(?)のも、やはり現実のアメリカとそっくりだ。

結局いつの間にか、こういうインド的というかアーリア人的な神話観が現実になっているなあ・・・と思った。これがまさしくマトリックスで、それを壊そうとするのがクリシュナなのか映画「マトリックス」のネオなのか、共に「救世主」と呼ばれるわけで。
WWⅡではナチズムを倒すためにアメリカとソ連が手を組んで戦い、最後に広島=秦王国に原爆が投下されたが、今の状況を現出しているのは誰なのか?というのが気になる。

蒼き狼と白き牝鹿

「ジンギスカン源義経説」の真偽は知らないが、昔何かの本に「ウランバートル?にあるチンギス・ハンの像」の写真が載ってて、そのベルトのバックル部に、源義経の紋章と同じものが彫られていると書かれてた。

有名な説として例えば、源氏武士団の流鏑馬(やぶさめ)と同じく「騎乗しながら弓を射る」競技が、ユーラシア大陸東部やその周辺のタタール部族にも存在し、名前を「ヤブサメル」というらしい。そもそも源氏武士団の「騎乗して戦う」は、古代アーリア人が騎馬民族的だったというか騎乗文化の民族だったことに呼応する。

だから80年代に光栄から「蒼き狼と白き牝鹿」というゲームが発売されたが、青はスペイン語でAZULなのでアッシュールつまりアッシリア、狼はベニヤミン族。そして白は白百合ならlilyでリリス、牝鹿はナフタリ族なのでイエスの出身部族。もちろん源氏の女を「白拍子」といい、静御前や巴御前もそうなのは言うまでもない。

ロシア語の知識はないが、ロシア語で中国をキタイスキーといい「契丹」に由来する。だから契丹という国家には何かあるらしく、実際にうちの教授も「契丹な、あれは怪しいな」と言ってた。カラ=キタイだからカラと付き、唐もカラと読むし韓もカラと読む。
また真偽不明だが、新國民社の本に「日本語の漢字は仏典と一緒に渡来したが、「鈴」という字はその中に含まれておらず、契丹の文字に由来する」とあった。

現在の北海道でジンギスカン料理といえば羊の肉を焼いて食うものだが、そもそも「羊」とは?迷える羊とか羊飼いの笛とかいうし、Pastol(パストール)は牧師だ。インドでクリシュナがGopal(ゴーパール)つまり牛飼いゆえ、Krishnaが語源ともいわれるChristが羊飼いと呼ばれる。これは常識。
ちなみに鶏の唐揚げをザンギと呼ぶのはなぜか?ニワトリは夜明けを告げる鳥だから太陽の使いみたいな存在だが、それを食ってしまうことを「懺悔」って・・・。

海のトーテミズム

いわゆる海の幸には、どこどこで名物になってる物というのがいろいろある。例えば三重なら伊勢海老、北陸なら毛蟹、下関なら河豚(ふく)、阿久根ならイワシなど。

これは単純に「そこではそればっか捕れるんだな」と思ってしまうが、多分違う。だって海の中に何がいるかなんてわからない。わかるのは実際に海に潜ってその生き物を捕ってる漁師(?)本人。

つまりこれはトーテミズムで、その場所でそれが名物になってる理由は、そこの漁師がそればっか捕ってるから。本当は海の中にはいろ~んな生き物がいるのに、各地にトーテム生物がいて、漁師はその生き物ばかりわざと捕ってる。多分。

だから「伊勢=海老」「北陸=蟹」「呼子=烏賊」みたいなトーテム関係なんだろう。よってこういう「地域の名物」的な海産物が、汎世界的・汎地球的に各地で見られるなら、どこの海民がどこどこの別地域の海民とルーツ的な繋がりがあるか、を解明するための重要な手がかりになるはず。