美人とブス一考

俺は基本的に女はバカだと思っているし、実際に歴史上に名を残した女というのはほとんどおらずもしいても悪名だったりするケースが多々ある。もちろん男とは根本的に異なる生物なのでそれが高低とか優劣とか善悪とかとイコールではないだろうが、基本的に女はバカだと思う。
これから女というものに関して俺の主観を伴った多少の一般論を述べてみよう。

まず女の魅力というのは多分にその外見に左右されることが多い。つまり「美人」と「ブス」である。もちろんそれだけではなく知性と教養、人間性や人格、能力や才能によっても左右されるが、そういった要素は外見やパッと見だけではわからないので、やはり最初は外見によって女は異性つまり男を惹きつける(今回は異性愛者のみに関して論を述べるので、同性愛者に関しては触れない。よって女を惹きつける女というものに関してはノーコメント)。
外見の良い女は、若い頃は「可愛い」と言われ大人になれば「美人」と呼ばれることが多いだろう。こういう「美しい女性」は女性にとっての第一要素である外見が良いという事実により、基本的に他人から卑見されることがまずない。よって他人からマイナスイメージで見られることが第一印象においては少ない。
ではブスはどうかというとこの正反対で、若い頃からそして大人になっても「ブス」と思われ続ける。当然他人からの第一印象も「ブスな女」というものであり、卑見されてマイナスイメージを持って見られることがほとんどである。
外見というのは二つの要素に起因する。先天性と後天性である。前者は遺伝的な要素に拠るところが多く、血縁や血筋また遺伝子にも依存する。後者は所謂「人間性が顔に現れる」というやつで、正しい人ほど良い顔をしていて邪悪で下劣な人間ほど卑しい醜悪な顔をしている、という一般的な事実のことである。一例を挙げると金◯日や日本の某政治家が人前に出るのも憚られるが如き人相をしているという事実のことだ。
もし美人がいたらその人は「遺伝で顔が良い」か「人間性で顔が良い」かであり、ブスがいたら「遺伝で顔が悪い」か「人間性で顔が悪い」かである。もちろんその両方が伴っている場合も多々ある。
しかしここで一つ付け加えると「精神は肉体を超越する」という事実の存在である。これに関しての科学的・医学的な根拠の是非は置いておいて、事実として科学が万能足りえない以上これまでの人類史における種々の報告事例からそれは事実だと言わざるを得ない。
つまり人間性というものが当然その各個人の精神に左右される以上、仮に遺伝的に外見が良かったとしてもまた悪かったとしても、それはその女性の精神つまり人間性によって後天的に変化し得るということである。
ということはだ。もし美人に生まれても、人間性が良ければ美人のままで人間性が悪ければブスになる。またブスに生まれても人間性が良ければ美人になり得るし、人間性が悪ければ輪をかけてブスになる。こう断言して良いと思う。

ここで今までの論を簡潔にまとめると以下のようになる。

 【美人1】=生まれた時から美人で、尚且つ性格が良い人
 【美人2】=生まれた時はブスだったが、性格が良いので美人になった人
 【ブス1】=生まれた時は美人だったが、性格が悪いのでブスになった人
 【ブス2】=生まれた時からブスだったが、性格が悪いので更にブスになった人

補足すると世の中には「整形美人」というのも一応いるがこれは例外であり、整形をしなければ当然ブスだったわけだから、ブスのカテゴリーに分類してよいと思う。1と2のどちらに属するかはその人間性に拠る。

さて、では一般社会における美人とブスの存在状況は果たしてどうだろうか。
一応俺は一昨年までずっと日本で暮らしてきたので日本社会のことはよく知っているが他の国のことはまだあまり知らない。よって今回は「日本社会における日本人の女の中での、美人とブスの存在状況」に限定して論を進めたい。
まず美人であるが『美人1』は最も数が少なく、もしいれば「高嶺の花」と呼ばれることもある。内面も外面も優れているため欠点が無いと言ってもよい。人間性が良いためそれが外面に更に磨きをかけ一層の美しさを醸し出す女性のことである。おそらく探し出すのは非常に困難だろうしもしいても求婚者は最も多いだろうから、最も競争率が高くまた獲得が困難な女性である。
次に『美人2』は所謂「性格美人」である。確かにブスかもしれないが性格が良いので男に人気があり、そのため更に人間性が屈託無いものになり性格が良くなる。その結果本来の外見よりも美しく見えブスだという印象をあまり持たれない。よって普通に求婚される機会も多いし人間的にも正常な女性である。
『ブス1』は素材としては正常なのに生きる環境や人間関係、また受けた教育や本人の人間性により、精神が常人とはやや異なった方向へ向かい、それが外面に現れ不安定な表情や違和感のある顔の各部位の配置をしている女性のことである。本来の外見よりもブスに見え精神の発露たる性格も悪い。所謂「性格ブス」のことである。このような女性は特殊且つ多種多様なコンプレックスを抱えているケースが多い。
『ブス2』は生まれながらにしてブスであり尚且つ生活環境・人間関係・受けた教育などの後天的な要素により更に人間性が悪くなり、それが外面に発露してどうしようもないブスになった女性のことである。ブスであれば当然周囲からの「あの人はブスだよね」「あいつブスだよな」という有言無言問わない視線を受けることになる。この際人間性が良いつまり精神的にタフで前向きな考えを持っていればそれを克服して『美人2』になることができる。しかし人間的に矮小かつ脆弱で卑屈な思考をしている者は更に自己を卑下し精神的に降下していって、それが外面に現れてどうしようもないブスになってしまう。「顔も悪けりゃ性格も悪い」というやつである。それがこのケースである。

大きく4つに分類したがもちろんこれは極論的な類型化であり「大体この4つに分類できる」ということだ。多かれ少なかれ女性というのはこの4つに分類できる。
つまり簡単に言えば「女性の美はその人の性格つまり人間性に左右される部分が大きい」と言うことができるわけだ。「性格の良い女=美人」「性格の悪い女=ブス」と言っては言い過ぎだが、「性格の良い女=もてる・魅力的」「性格の悪い女=もてない・魅力が無い」というのであれば概ね納得できるだろう。世の男の大半はこう思っている(多分)。悪い人間性は他の全ての長所をスポイルする。
種々の情報と経験を総合して得られた俺のこれまでの認識によると、数の上では「美人2>ブス1>ブス2>美人1」である。つまりほとんどの女性は元来の顔はそれほど良くないが人格的にも特に問題はない。しかし普通の顔をしているのに性格の悪い女とかブスの上に性格も悪い女も結構いて、顔も性格も良い女なんてほとんどいない、ということだ。
日本という社会を観察すると概してブス1が最も性格的には陰険であるケースが多い。中学校や高校で虐めをしてるような女というのは大抵このタイプだと思われる。ブス2が虐めの対象になるケースは少なくないがその場合男から幼少時に虐められるケースが多いようである。しかし男はローティーンにもなると身近な女性を(性の)対象にしてマスターベーションをするのが普通なので、それくらいの年齢になるとブス2には関心を持たなくなる。美人1には二種類あり、何らかのバックボーンがあれば自身に正当な自信を抱きながら成長できるが、無い場合には特にブス1の虐めの対象になるケースがある。美人2はほとんどの男が10代20代に友達になったり恋人になったりするような言わば普通の女性である。

おそらくほとんどの男が無意識に思っていることだろうが、自分のことを可愛い・美人だと思っていない女はヤバイものだ。女は化粧をする生き物だが、多少素材が悪くても自分に自信を持って化粧をして男を惹きつける努力をするとか、外見を良くすることに情熱を注ぐとか、鏡を見て自分にも魅力があるんだと思うとか、そういう発想が無いとはっきり言って異常だと思われる。もし「自分はブスなんだ」と本気で思って疑わず、自分はブスだから何をしても無駄なんだとか思っている女がいたら、しかもそれが成人した女性だとしたら、これは相当な程度でヤバイ。こういう女はただでさえ男から疎遠に扱われるのにそれを改善せず諦めているので、自分にあまり関心が無い。
自分への関心が強い人は他人への関心が薄くよって自己発展にその精力を注ぐため、生きた期間と比例して能力が高まる傾向が強い。しかし自分への関心が薄い人は逆に他人のことばかり考えているため自己の発展という発想が希薄で、いつになっても能力が低いままである場合が多い。汎世界的にどの分野においても優秀な人ほど自己完結的で他人のことをあまり意識していないのはこのためである。早い話が「他人に関わっている暇は無い」のだ。
女性に関しても同じで、自己発展つまり「自分を美しく見せよう」という意識のある女性はそれほど他人に関心を持たず自分の美を高めることに注力するため、美しさは徐々に高まりそれゆえ更に人間的にも良くなり更に美しくなる。好循環である。
しかし「鬱屈しているブス」と「諦めているブス」は「精神が悪い」という共通項を持っているので、更にブスになっていき当然死ぬまでブスになり続ける。こういう女の行き着く先は「醜悪な性悪ババア」だ。成人したところで改善される点はほとんど無いので当然その精神の発露である性格が悪く、また他人のことばかり考えているのでいつでも誰かのことを攻撃していたり悪口を言っていたり嘘を吐いたり他人を陥れて喜んでいたりする。日本ではこういう女性のことを「お局様」と古くから呼称してきた。形容表現を伴った語で表せば「結婚できない女」である。
人間性と知性は必ずしも一致せず、最低の人間性を持った者が高い知性を持っていることがある。しかし低い知性しか持たない者が高い人間性を持っていることはほとんどありえない。「頭の良い奴には善人も悪人もいるが、頭の悪い奴はほとんど悪人」ということである。これは当然で、頭の悪い奴は善悪の区別がつかないので悪事ばかり働く。頭の良い奴は善悪の区別がつくが中には悪いことをして何らかの利を産もうと企む者がいる。そのためである。
これを追加要素として考えると「頭の悪い女」は概ね人間性も悪い。前述の類型化から「性格つまり人間性の悪い女=ブス」なので、「頭の悪い女=ブス」すなわち「ブス=頭が悪い」と言うことができる。したがって女性人口全体における単純な比例式により、頭の良い女性ほど美人で頭の悪い女性ほどブスだ、と結論することができる。

よって男は単純に美人を選べばいいのであって、ブスは選ぶべきではない。何故なら人にとって最も大切なのはその人間性であって、性格の良い人間的にも正常な所謂「いい人」と結婚しないと後々が大変だからである。
「結婚は人生の墓場である」というのが誰の言葉だったか忘れたが、それは世の大抵の人がちゃんと相手を選ばずに結婚しているからだろう。夫婦間の関係も維持できないのでは正常且つ正しい人とは言えない。何故なら子孫を残すことは生物の最も基本的な本能であり義務であって、動物でさえドメスティックバイオレンスも離婚もしないからだ。

最後であるが、何事にも「例外中の例外」がある。そして世の中には計り知れない事実と現象がある。全てを類型的に考えたりステロタイプに考えることは間違いであり本稿についても同様である。しかし大半以上のほとんど全ての人(間)は「例外」ではないので、概ねこのように考えて問題無かろう。

[2009/01/16]

宇宙は99%

神を信じるというのは、神のいうことを何でも聞くということではない。迷った時に「神様っているのかなあ、いないのかなあ、いるはずだよなあ、よし神様がいると信じよう」と、神の存在を「信じる」ことである。それは、神の存在に疑いを抱かないことではない。疑いながらも、とりあえずいると信じる、それが神を信じること、だ。
俺は、神というのはこの世そのものだと思っている。この世というのは、要するに全宇宙だ。この地球も、月も、太陽も、宇宙の一部である。つまりこの全宇宙そのものが、神と等しいと思う。
宇宙は絶えず膨張していて、それは終わることがない。遙か太古のビッグバンの時から宇宙は膨張を続けていて、それは永遠に続く(だろう)。もし宇宙が終わる時は、熱的死を迎える時だとか、科学的な理論があったような気がするが忘れた。
とにかく宇宙は無限に果てしなく、終わりがなくて、ということはつまり果てがないのだから、どこまで行ってもそれは99%だということだ。有限であればどこかで100%に達するはずだが、果てがないのだから終わりまで到達してもそこは99%のはずである。
そう、この世は、常に99%の状態を保っている。故に完全なものなどどこにもない。
そして人類最大の命題である「神は実在するか?」という問い、これに対する答えも簡単に導き出すことが出来る。それは「絶対にわからない」だ。何故なら、この世つまり全宇宙が99%である以上、それに重なり合う神という存在も、99%でしかありえないからだ。99%までしか存在し得ないこの世に100%重なり合う神、その存在をどれだけ探求しようとも、その答えは99%までしか導けない。99%の100%は99%である。
よって神が実在するかどうかという問いの答えには、どんなに頑張っても99%までしか辿り着けない。だから絶対にわからない、のだ。それが神という存在の本質である。そしておそらく、その残りの1%に悪魔が入り込んでいるのだろう。
故に我々は、神を信じるしかない。いるかいないかわからないが、いることを信じるしかない。それが「神を信じること」である。それは確かに苦しい。確証のないものを信じることほど苦しいことはない。けれどおそらく、皆感じているはずだ。身の回りの自然現象、それは風のせせらぎだったり、大気のうねりだったり、葉の擦れる音や、鳥の囀りや雷鳴の轟きだったりするかもしれないが、そういった有象無象の現象の中に、神の存在を確かに感じることがあるということを。そう、神はこの世つまり宇宙そのものである。だからそこにいるのだ。
もちろんそれに関しても確証はない。何故ならどれだけ突き詰めようとも、答えは99%だからだ。この世の究極の問いの答えが99%なんだから、我々が迷える存在なのは当然だ。だから「神様っているのかなあ、いるはずだよなあ、信じるしかないよなあ」と神様を信じて生きるのだ :-p

[Thu, 31 Oct 2019]

それでも地球は回っている

本ウェブサイトを一覧してもらえればわかる通り、俺は飛行機が好きだ。ずっと昔まだ小学生だった頃、当時本屋によく売っていたポケットサイズの「○○大百科」というシリーズの中に「軍用機大百科」という本があって、それは飛行機の中でも軍用飛行機つまり戦闘機や攻撃機を写真付きで紹介している本だった。その本を親に買ってもらいたくさんの戦闘機の写真を見ているとものすごく興奮し「かっこいい!!」と思った。当時はテレビの「○○ロードショー」とか映画を放映する番組においてしばしば世界の戦闘機を紹介するプログラムが放送されることがあり、それを観ている時もやはりものすごく興奮した。とにかく「ものすごくかっこいい」と思い、それ以来飛行機(軍用機)がとても好きになった。

「航空ファン」「エアワールド」とか「丸」とかの航空(軍事)雑誌をその後頻繁に買っていたが、俺が中学生の頃に「F-19ステルス戦闘機」というのがよく話題になった。謎のベールに包まれたアメリカの最新鋭戦闘機で「レーダーに映らない」というのでかなり話題になっていたが、その実際の姿を見た者は誰もおらず、想像図として頻繁に画像が紹介された。それは「レーダーに映らないようにするためには機体を丸くする」という前提で描かれたものだったと思う。というか俺のような素人は「丸い機体ならレーダー波が反射しないからこうなってるのか」と単純素直に思ったし、多分世界中の人たちは全員そう思っていたはずだ。

その少し後、何の機会だったか忘れたがアメリカがステルス戦闘機の実機写真を公開した。そしたら皆驚いたが、丸い機体の正反対で角ばった機体だった。現在「F-117Aステルス戦闘機」としてよく名前を聞くあれだ。多分世界中の飛行機ファンが皆驚いたしもちろん俺も驚いた。いやだって「丸い機体ならレーダー波が反射しない」とみんな言ってたのに実際には「角ばった機体ならレーダーに映らない」ってのはどういうことなんですか、話が違うじゃないですか、と世界中がビックリした。この件について当時の航空雑誌に「今までステルス機は丸い機体をしているというのが定説だったのは実際の機体をカムフラージュするための情報操作だったのか」とか書かれてたのを覚えている。確かにSR-71は丸いフォルムをしているし、あれの発展系として皆例の画像を想像してたはずだ。F-117Aのステルス理論とかは俺はわからんが、とにかくそれ以来「ステルス=直線的」というイメージが定着したような気がする(多分)。B-2も直線的だしF-22も直線的だし、逆にロシアのSu-27は曲線的なフォルムをしているがステルス性が無いと言われている。そんなわけで、正にコペルニクス的転換という感じで俺の中学時代にステルス騒動(?)は一段落した。

話は変わるが、数年前から闇金融の話題が頻繁に取り上げられる。(日本の)夕方のTVニュースを見てると一時そればっかりやっていた。けれど闇金の話題が持ち上がる直前まで、TVの特に夕方のニュースで連日やっていたのは「マーキング」というやつだった。あれはつまり訪問販売の奴がマンションやアパート等の集合住宅へ来た際に、その家(部屋)の扉付近に意味不明&奇妙なマークを描き記していくというものだ。マーク(記号)を見ても何のことだか誰も意味がわからず、住人は気持ち悪いとか不気味だとか皆言っていた。番組内のコメントでは「訪問販売員が家(部屋)の住人の情報を後続の仲間に伝達するための独自の記号では」と言っていた。

歴史の本には「胡散臭い系の本」があるのは以前書いたが、それ系の本には「サンカ(山窩)」を扱ったものが大変多い。俺もそういうのは見かけたら読む方で、まあ大抵の本は三角寛の著作に拠る内容だろうが、中には興味深いことを書いているものもある。
以前読んだそういう本に「サンカは『符牒』というものを使っていて、仲間にその地域の情報を伝達するためのもの」と書いてあった。サンカというのは漂泊民として認知されていて、山の中を漂泊しながら箕作り等をしているとどの本にも書いてある。そういう漂泊の過程でどこかの村や集落に立ち寄った際、そこの情報例えば住民の性格とか何が盗み易いとか仲間への注意事項とかを後続のサンカに伝達するため、地面や樹木などに仲間内だけで通じる記号(符牒)を描く文化を持っている(いた)、とのことだった。
基本的に「漂泊民=常民の逆」みたいなイメージがあるが、現実としてそういう言わば不可触な存在に関して正確に全部わかっている者はいない。もしいてもそんなのを公表することはしないし出来ないので、今でも尚そういう存在である人々は謎のままだ。よってその代表としてサンカ(山窩)の名が挙げられてもそれに関してさえ正確なことは誰も知らない。俺の印象としては日本という国はいろいろな部族の集合体だと思うので、常民にもいろんな種類があって漂泊民にもいろんな種類があって、それは某団体の研究者でも認めるところだが、そういうのの一つとしてサンカというのがいたのかもしれない。その名前ばかりが異常なほど取り上げられて漂泊民の代名詞になっているが、もちろんこういうのも冒頭で述べたステルス同様何かのカムフラージュかもしれないし多分そうだろう。
ちなみに「山窩」という語は元々警察用語で「山の窩(あな)」という意味だそうだが、奈良時代頃の文献に「クグツシサムカ(傀儡子山窩)」という言葉が出てくるという話もある。幾つかの本屋に売ってる本を読んだ限りでは、「サンカ(山窩)=常民の逆=漂泊民の総称」みたいに結構強引に一括りにしたがってるような感じがするが、ここまでこの語が有名になったのはやはり三角寛が戦前にサンカ小説というのを流行らせたかららしい。俺は当時まだ生まれてなかったしその辺の詳細は知らないが、五木寛之の小説にもそういうのはあったし、やはり「不可触で知られざる存在」への関心は誰でも持っていてそれを題材にすると興味を惹くものだ。

そして興味深いことに、海外の漂泊民であるジプシーも全く同様の文化つまり符牒を持っている(いた)そうだ。彼らは現在でも「物を盗む」としてマイナスイメージを持たれているようだが、元々漂泊してどこかの町や村などに入った際、後続の仲間に情報を伝達する目的で同じように記号を描いていたという。こういうのを聞いて「じゃあジプシーとサンカは元々同族で西と東に別れたんだ」と思う者もいるが、そういうのを「短絡的で歴史にロマンを求めている」と考え「どこにでも似たようなものは現れるのだ」と言う者もいる。どっちが正しいのかはわからないし真偽を証明する手段も無い。ただ「自分が理解出来ない」とか「そんなのあるわけがない」と考え、否定する根拠も無いのに何かを否定するのは更におかしい。最近「トンデモ」という語が市民権を得て普通に使われるが、そもそもこの語を普及させた何某は何かを否定する根拠を持っていないように見える。「可能性」が0%というのは逆に殆どあり得ないので、何に関しても推定無罪的な態度で接するのは基本であり重要であると強く言っておきたい。

話を現在の訪問販売のマーキングに戻すと、こういう記号は昔からある符牒=一種の暗号と同様であって、じゃあ何故同様の発想が関係無いところに現れるのかといったら、現在の訪問販売をやってる連中が所謂サンカ等の不可触な存在と関係があるのかもしれない。言うまでもなくこんな商法をやってるのは胡散臭い連中なので、もしかしたらあるかもしれないとは言えるだろう。しかしその真偽を証明する方法は無いし、もしかしたら全然違う深遠な意味で描いてるのかもしれない。ひょっとしたらそのマークは宇宙人の文字で、プレデターみたいに姿が見えないのかもしれないのだ。つまりわからないことなんて世の中にはまだまだ腐るほどある。一説によれば、昆虫は地球の生命の歴史上突然現れるので、隕石にくっついてきた宇宙生命体だと言う者までいるのだ。もしそうだったら俺たちが学校で習ってきたのは全部間違いで、F-19(の想像図)とF-117Aがまるっきり違う形をしててみんな驚いたのと同様に「いや聞いてた話と全然違いますよ」ということが起こるかもしれない。

とまーここで結局何が書きたかったのか結論すると、ベルヌーイの定理つまり飛行機の飛ぶ原理が覆されるかもしれないという話をインターネットでちょっと読んだからだ。「飛行機の翼面が上面は膨らんでて下面は平べったい」というのは俺も知ってるが、高校時代理系科目のテストで0点を10数回とった俺にはベルヌーイ理論の説明なんて不可能。けど何となくわかっているつもりだ。要するに「流速の速い遅いで圧力が変わる」って話だろ?とにかくこれが100年ぶりだかで覆されるかもしれないという話で「水道から出ている水に手を近づけると水が曲がって手の表面を流れる」ことから説明出来るとか何とかそんな説みたいだが、もはや因数分解さえ忘れた俺には理解不能だ。けどそんな感じで「人類の定説」になってることでも覆されたら面白いし、ず~っと昔のイタリアで「それでも地球は回っている」と言った(らしい)人の例もあるので、この説を唱えた人=デビッド・アンダーソン氏が世界中を平伏させてほしいなーと思っている。ウェゲナーだってフロイトだってシュリーマンだって最初は気違い扱いだったんだから、やっぱり「結果オーライ」なのだ。というわけで俺もそうありたい。

[2008/12/20]

噂を広める実験?

俺が小学生の時に、子供たちの間でいろいろ「不気味な噂」が流れる、ということがあった。
例えば「サザエさんが終わる。皆が乗った飛行機が墜落して海に還る」とか、「ドラえもんが終わる。実はのび太は植物人間であれは全部のび太の見た夢」とか、「ファミコンの高橋名人がインチキをやってて逮捕された」とか。
こういう「不気味な噂」が子供たちの間で複数流れるという出来事が起こり、これは俺が当時読んでいた「ウータン」という学研の科学雑誌でも「最近子供たちの間で不気味な噂がいろいろ広まっている」と特集されていたのを覚えている。
俺が不思議だったのは、当時俺の住んでいた場所というのが「陸の孤島」みたいなところで、他所との交流がなく、他地域とも離れた場所にあったのに、それでもうちの小学校の生徒の間で噂が広まったことだった。だって他の場所から情報が入ってくることがない場所だから、噂の発信源はどこなの?と不思議だった。
これは今考えると、あくまで推測に過ぎないが、何者かが「噂を広める実験」をしていたのではないか、と思う。それが誰だったのかは知る由もないが、知識も教養も未成熟な子供たちの間でどれだけ噂を広めることができるか、という実験だったのではないか。当時何某かが、日本中の子供たちの中にいる「手下」に、意図的に同じ噂を流させ、その結果日本中のどこでも子供たちの間で同じ噂が流れた・・・というのが真相じゃないかな?俺はそう思っている。それが何を意図した実験だったのかは知る由もないが。
他にもテレビを見ていて不可解に思ったことがある。それは十数年前に、訪問販売のマーキングのことを盛んに特集していたことだ。一時夕方のニュースはその話題で持ちきりで、「訪問販売員が家の扉に不可解なマーキングを描いていく」とやっていて、毎日そのことばかり特集していたのに、ある日突然「ヤミ金問題」を報じるようになり、それ以来マーキングのことはパタッと取り上げなくなった。そして毎日ヤミ金のことを報じるようになった。
このマーキングというのは、要するに「符牒」で、古代史の本なんかを読むと、いわゆる漂泊民(サンカ)が、後続の仲間に地域の情報を伝えるために使っていた、と書かれていたのを覚えている。他にもジプシーが使っていたとか。今はどういう者たちに使われているのかなんとなく想像はつくが、訪問販売を行っているような連中のルーツを辿っていけば、元は漂泊民みたいなものだろうから、じゃあなんでそれを報道するのを突然不自然な形でやめたの、と勘ぐりたくなる。
俺があまり見ている人もいないこのブログにこういう事を書いたところで大した影響力はないだろうが、確かにマスコミや宣伝省にとって、ネットは危険な存在かもしれないね。2ちゃんねるくらいしか発言の場がなかった一昔前はともかく、SNSで大勢の人がネットに影響されるようになった現在は。だから為政者は、デジタル庁なんてのを作って規制しようとしてるんだろうが。

[2021/05/11]

過去に書いた古代史関連の文章について

※まず最初に以下を読まれたし。

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若い時に読んだ本に強く影響されてしまう、というのは誰でもあって、人によってはそれで右翼になったり左翼になったりするんだけど、恥ずかしいことに俺は「新國民社の本」に影響されていた。
新國民社は古代史関係の本を主に出版していた会社で、いわゆる「八切止夫みたいな」論調の本ばかり出していた、といえばわかりやすいかな?要するに胡散臭いというか、「偽史」みたいなのを大真面目に取り上げる会社である。
その著者の代表が鹿島昇で、知っている人は知っている、ある意味有名人だ。俺はこの人物の本を高校時代にたまたま古本屋で見つけて読んでみて、ものすごく衝撃というか、「えーこんな事実があったの!?」と驚愕して真に受けてしまったんだよね・・・。まあ仕方ないよね。まだ10代のすごく多感で未熟な頃に、こういう感じの本をいきなり読んだら、そりゃ影響されてしまう。
そのため俺はその後長い間、新國民社の本に書かれているような内容をずーっと信じていて、おかげで大学時代は授業を聞いても理解できなかったり、人と話してもトンチンカンなことを言ってしまったり、すごく悪影響を受けて苦労してしまった。その影響から脱却できたのは割と最近である。
だからこのブログの「古代史関連」の文章を読んでも、しばしば「ハァ?」という記述があると思う。ぶっちゃけそれは、新國民社の本の影響なのだ・・・(恥)。

前置きが長くなったが、最近になって鹿島昇についてネットで検索してみると、「韓国民団や統一教会が関係している」と書かれていたりする。例えばこのサイトとか。

https://ameblo.jp/39630110mpd/entry-12216420176.html

今思うと確かにそんな気がする。だって、やたらと「日本の~~は朝鮮起源」とか「日本古代史は朝鮮史をパクって捏造した」とか主張したり、「徳川家康は元々奴隷商人だった」とか日本の価値を下げようという主張をするし、果ては「日本人は奴隷に最適な民族です」って断言したり。昔はリベラルな奴とか思ってたけど、今考えるとものすごく変な奴だ。
それになぜか韓国の大学の教授を呼んできてシンポジウムを開いたり、明らかに偽書である「桓檀古記」なんてのを宣伝しまくったり、確かに韓国とか朝鮮の手先にも見える。

そしてもう一つ鹿島昇の特徴は、オカルティックな論を大真面目に論じるところ。特に日猶同祖論に関して、明らかにインチキなソースによる話を真剣に語る。例えば「大分の国東半島に東表国がありオッフルと呼ばれていて~」と言うが、これは国東の土着の蛇神であるトウベウと、オッフル・マズド(アフラ・マズダー)の組み合わせだろう。つまり国東半島にイラン系の文化とか蛇を敬う文化があった、と誰かに聞いたんだろう。他にも「現在の熊本県に多婆羅(たばら)国があり、製鉄系の国家だった」と言うが、これは田原坂(たばるざか)という地名があるのと、現在のトルコ東部にTABALという地域があり古代のヒッタイトがあった場所なので、タバルと製鉄で繋げたんだろう。
他にも、聖書のダゴン神殿の「ダゴン」と檀君朝鮮の「檀君」が音が似ているので同じだと主張したり、大物主をオーモンと読めばソロモンと同じだと主張したり。要するに日猶同祖論で登場するいくつかの要素を、似た者同士で繋いでしまっているケースが多々見られた。
こういうのは今になったらわかるけど、10代のころにはわかるわけもなく、俺はコロッと影響されてしまったんだよ・・・(恥)。

だけど確かに面白い記述があるのも事実。「なんでそんなこと知ってるの?」と訊きたくなるようなことが書かれているのは確かで、そういうのは今でも不思議に思う。
例えば「日本にはシノガラという秘密結社があって戦後の日本を支配していて~」としつこく書いてて、例えばロッキード事件の政治家がどうだとか、どこかの大学の総長がそうだとか何度も書いてる。そんで何かにつけて「サンカ」という単語を出し、日本のどこどこに彼らが多い~という地図が載ってて、見るとなぜか東海大学の付属高校がある場所だったり(笑)。あと板橋警察署にサンカの資料が大量に保管されてるとか、彼らは大きな河川をエリアの境界にして別れて住んでるとか、だから河川敷を土地転がししてる何某は~とか。他にも、木下藤吉郎は木影(このかげ)という忍びの出身で、元々「川の民」だったから墨俣一夜城ができたのだ、とも。真偽は不明だけど確かに面白いのは事実。
他には「日本が明治時代に朝鮮に侵略したのは、現地の歴史書を奪って焚書して、真実の歴史を隠すため」と言ってて、その時に奪った歴史書は天理大学の付属図書館に保存されているとも書いてた。
鹿島昇は「日本に文化をもたらしたのはとにかく朝鮮である」みたいな考えなので、もちろん天皇も朝鮮半島から渡来したと主張してた。「韓国では日本の天皇が百済の出身であることは国民的常識です」と言ってたけど、これはたぶん朝鮮の百済のエリアに「扶余」という古都があるのと、江上波夫の騎馬民族征服王朝説で沿海州の「扶餘」という国が出てくるので、両者を繋げたんじゃないかな。

個人的に一番面白いと思ったのは、鹿島昇とか八切止夫とかの対談文だったかな?そこに「祇園というのは、古代イランのスサで総督をしていたのがユダヤ人で、そこではGIONという神が祀られていて、スサはヤサカ川の流域にあり~」と書かれてて、これは実際に大学時代に俺の研究室の教授に話したら「僕も聞いたことがあるんです」と言ってた。
あと「朝鮮半島の南東部の、新羅があったエリアの〇〇道(名前失念)の出身者たちが、南北朝鮮両方の軍部の指導部になっているので、南北朝鮮はいつでも統一できる」と断言してた。これはその教授も知ってたし、パラグアイの日本人会の人も知ってたので、有名な話のようだ。

あーあと一番面白かったのは、「大分の国東半島で、九州大学の研究者が地元の居付サンカの某氏に製鉄遺跡に案内され、古い鉄剣を発見し、C14で測定したところ紀元前3世紀に製造された物だと判明した」と書かれてて、その研究者の名前も鉄剣の写真も載ってて、「現在国東半島の民俗館に展示されています」と書かれていた。それで学生時代に国東半島の役場に電話して聞いてみたら「そういうものがあると聞いたことはありますが、どこだかはわかりません。超古代史に関心のある人が問い合わせて来ますが~」って言葉を濁された。
これは国東半島に非常に古い文明が存在した、という論の根拠にされているようだ。本当ならすごく面白いけど。

あとは、新國民社の書籍リストを見てもわかるけど、なぜかこの会社は「東京相互銀行」というのを目の敵にしていた。鹿島昇以外にもいろいろ書いてる人がいて、一体なぜだろうと不思議だった。いわく「サンカ系の銀行」「女子行員を売り飛ばしてる」とか、ホントなの?と思ってたけど、小泉政権の時にその頭取だった人物が逮捕されてたので、あーホントだったのかなーと思った記憶がある。
「長田」について、神戸市の長田区は元々「長田」と書いて「ちよだ」と読んでいたとも言ってて、チヨダ族というのがいたと言い、「チヨダ族は神戸市長田から八ヶ岳や江戸や茨城を経由して、福島に移動した」と言う。これは江戸城を正式には千代田城というので、徳川家が江戸や水戸を拠点としてたことと、明治維新で薩長軍が会津藩を最後に攻めたことからだろう。以前「神戸市長田には奴らの拠点がある」と某掲示板に書かれてたが、何のことだろう?

ちなみにこの手のいわゆる「偽史」に関する本を読むと、100%登場するのが「ウガヤフキアエズ朝」だ。神武天皇の前にウガヤフキアエズ朝72代というのがあった、と全ての偽史に出てくるらしい。俺はもはや興味もないけど、昔「ウガヤ・ジャーナル」というサイトがあって、朝日新聞社員だった烏賀陽(うがや)という人物が文章を書いてて、内容は忘れたが、文中に「烏賀陽というのは珍しい姓で、京都に10数戸しかない」とか書かれてたはず。神戸市には葺合(ふきあえ)という地名があり、千葉県我孫子市には葺不合(ふきあえず)神社というのがあるようだ。

・・・とまあ、こんな感じの内容が書かれた本を、俺は未熟な10代の頃に読んでしまってめっちゃ影響されてしまい、そこから抜け出すのに苦労したのだ。しかもそれを書いた人物が韓国民団や統一教会と関係しているらしいと知って、ちょっと驚いている。であれば逆に、韓国や統一教会は日本についてこんな考えを持っている、という格好のサンプルかと思う。そして奴らが日本の古代史について「攪乱」するためにどんな説を流布しているか、という参考になると思う。
正直俺自身がそういう情報で攪乱させられてた当事者なので、反省も兼ねて書いてみました。
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・・・以上を前提に、過去に書いた文章を読まれたし。

⑬クル族について

前文明の末裔?

インド古代の十六大国時代にクルという国があり、場所はカシミールの周辺だったと伝えられている。ここまで再三述べた通り、クルはCRと書くべきで、CRESCENTの語源であるから、古代インドの月信仰の代表である。しかしアーリア人が月(三日月)信仰を元来持っていたのとは異なり、「太陽信仰に反する立場から」月信仰を標榜したのであって、純粋な月信仰とは異なる、というのが私の主張である。
古代に太陽信仰と月信仰の争いがあったとして、それが汎世界的に行われたとすると、月信仰側にクル族がいたことは疑いなく、彼らが海洋民族だったがゆえに、伝承や伝説の中では「水の中の龍」というモチーフで表される。秦氏も平氏も、加えてユダヤ人も航海民族であった。
世界中のユダヤ人の痕跡を探った所々の噂の中には、カシミールにユダヤ人の痕跡が残っている、という説もある。モーセやイエスが訪れた痕跡がある、という説もある。もちろんそれらはただの噂に過ぎず、日本にもキリストの墓伝説があるが、そういうものはモーセやイエス本人が来たという意味ではなくて、「ユダヤ人が何らかの関わりを持っていた」と考えるのが正しい。ユダヤ民族は世界中に散らばったので、世界各地にその痕跡を残している。それゆえカシミールにその痕跡が残っているのなら、そこにユダヤ人が居留していた可能性が高いということである。
私個人の意見を述べさせてもらうなら、現在の文明というのは人類にとって一度目の文明ではなく、何回目かの文明である可能性は非常に高いと思う。であれば前文明において、太陽信仰と月信仰の争いがあり、その結果前文明が滅んでしまったという可能性も否定できまい。そこには当然生き残った者もいたはずで、太陽信仰側の人々が現在のインドのアウトカーストや日本で銛を使って漁をする人々であり、月信仰側の人々がクル族の末裔であるユダヤ人ではないだろうか。クル族とユダヤ人が繋がるならば、クルという国があったカシミールにユダヤ人の痕跡が残っていても不思議はない。
地球が周期的に温暖化と寒冷化のサイクルを繰り返す以上、海面の上昇と下降という現象も起こるわけで、その結果陸地の海岸線の前進と後退という現象も起こる。その結果、人類の文明が海に埋没することも当然起こるわけで、実際に海底から古代文明の遺物が見つかっている以上、数千年数万年という長いサイクルの中で人類文明が海に埋没し滅んだ、という出来事もあったはずである。古代の洪水伝説が世界共通のモチーフとして各地の文献や伝説に現れる以上、そういう出来事は確実に「一度」は起こっている。
「洪水」というのが実際の洪水だったのか、それとも世界的な大戦争の暗喩なのか、それはわからないが、少なくとも最後の洪水が起こった後、生き残ったのがユダヤ人である、というのが聖書の主張である。ユダヤ人とクル族が繋がるなら、航海民族であったクル族は、洪水の後に果たしてどこへ行ったのか。
例えばアフリカ東部のマダガスカル島は言語区分でインドと同じであり、実際に古代のシヴァ崇拝の痕跡が残っている、というのは前に述べた。つまりクル族は広範に海洋航海をしていたわけで、であればユーラシア大陸に移動した事実もあるはずだ。その中でも注目したいのはグルジア(ジョージア)で、この地名は元々「クルジア」という名称であり、シルクロードに弓月城と書いてクルジャと読む地名もあるから、つまり「弓月=三日月=クル」である。事実グルジアという国が国旗に三日月のマークを描いていた事実もある。
グルジアのあるコーカサス(カフカズ)地方には、ノアの箱舟が辿り着いたアララト山もあるから、古代に大洪水があったのなら、クル族は現在のグルジアに移動した可能性は極めて高い。現在の白人種はコーカソイドといい、コーカサス地方が起源だと言われているが、それは肌の色の白いクル族がグルジアから広まり現在の白人種になった、という事実を裏付けるものだろう。
ちなみにグルジアはスターリンの出身地であり、旧ソ連の体制がどのようなものであったかを考えれば、彼がクル族の流れを引く人間だった可能性は極めて高い。クレムリンというのもCRに由来する言葉であると思われる。ロシア革命はユダヤ人革命という色彩の濃い出来事であったと言われるが、クル族とユダヤ人が繋がるなら、その後のスターリン支配も当然だと言わざるを得まい。

八幡のルーツと弓月君

日本の八幡神は謎の多い神格で、未だに明確なルーツや「八幡」という言葉の起源なども明らかになっていない。八幡という言葉の起源については様々な説があり、中にはイスラエルの政治家が私見を述べたケースなどもあるようだが、未だ定説はない。八幡神社というのは日本で最も数の多い神社で、稲荷神社と並んで秦氏系の神社と言われる。総本社は大分の宇佐八幡宮で、製鉄神の側面もあると思われるが、航海神という色彩もある。
そもそも八幡神社のルーツは、応神天皇の時代に弓月君が秦氏を引き連れて日本に渡来し、秦氏がその恩に報いるために応神天皇を祭神にして日本各地に八幡神社を建立した、と言われている。この弓月君だが、弓月国から百済を経由して日本に渡来したと言われているが、そもそも弓月国というのはどこであるか。
再三述べてきた通り、「弓月=弓型の月=三日月」である。シルクロードに弓月城=クルジャという地名があるが、おそらく弓月国というのはコーカサス地方のグルジアであり、そこからシルクロードを経由して朝鮮半島に移動したのではないか。古代にインドからグルジアに船で移動したクル族の中に存在した彼らのリーダーが、その後東に移動し朝鮮半島を経由して日本に渡来したのではないか。それが八幡という名称の神社を建立したわけだから、八幡という言葉もクル族と関係があるはずである。
インドの古代叙事詩「マハーバーラタ」は、全編クル族の物語であるが、古代の核戦争を描写したのではないかと言われる記述があることからも、その成立は大変古いものだと言われる。このバーラタつまりバラタ族は、クル族にとって象徴的な存在だろう。であれば、このバラタという言葉をどこかで蘇らせようとしても不思議ではない。私の推測だが、「八幡」というのは「バラタ」の音訳ではないか。「バラタ→バハタ→八幡」という転訛を辿った可能性もあると思う。
弓月君がクル族のリーダーであり、また秦氏はユダヤ人であるから同時にクル族でもあり、彼らが自らの記憶を持ったまま日本に渡来したのであれば、その建立する神社に自らの象徴である「バラタ」という名称をつけても不思議ではない。それが八幡神社ではないだろうか。その総本社は宇佐八幡宮だが、以前述べたように大分の宇佐地方は秦氏の初期の拠点があった場所で、古代には宇佐八幡宮は非常に強い権勢を誇っていた。
弓月君がその後どういう変遷を辿ったのか不明だが、現在も日本に存在するのか、それとも朝鮮半島に移動してかつてのソ連と同じような存在になっているのか、私にはわかりかねる。ただ日本が「日出る国」を自称する以上、もし仮にその象徴が弓月君であったなら、それは虚偽(false=ファールス)だろう。イザナギが誓約(うけい)を行った際に、右目からツクヨミが生まれ、左目からアマテラスが鼻からスサノヲが生まれたが、前に述べたようにツクヨミは性別もはっきりせず記紀神話での活躍もほとんど見られない神格である。弓月君のその後の消息がわからないのと同様、日本において月神の立ち位置もはっきりしないのである。

[2021/04/05]