⑬クル族について

前文明の末裔?

インド古代の十六大国時代にクルという国があり、場所はカシミールの周辺だったと伝えられている。ここまで再三述べた通り、クルはCRと書くべきで、CRESCENTの語源であるから、古代インドの月信仰の代表である。しかしアーリア人が月(三日月)信仰を元来持っていたのとは異なり、「太陽信仰に反する立場から」月信仰を標榜したのであって、純粋な月信仰とは異なる、というのが私の主張である。
古代に太陽信仰と月信仰の争いがあったとして、それが汎世界的に行われたとすると、月信仰側にクル族がいたことは疑いなく、彼らが海洋民族だったがゆえに、伝承や伝説の中では「水の中の龍」というモチーフで表される。秦氏も平氏も、加えてユダヤ人も航海民族であった。
世界中のユダヤ人の痕跡を探った所々の噂の中には、カシミールにユダヤ人の痕跡が残っている、という説もある。モーセやイエスが訪れた痕跡がある、という説もある。もちろんそれらはただの噂に過ぎず、日本にもキリストの墓伝説があるが、そういうものはモーセやイエス本人が来たという意味ではなくて、「ユダヤ人が何らかの関わりを持っていた」と考えるのが正しい。ユダヤ民族は世界中に散らばったので、世界各地にその痕跡を残している。それゆえカシミールにその痕跡が残っているのなら、そこにユダヤ人が居留していた可能性が高いということである。
私個人の意見を述べさせてもらうなら、現在の文明というのは人類にとって一度目の文明ではなく、何回目かの文明である可能性は非常に高いと思う。であれば前文明において、太陽信仰と月信仰の争いがあり、その結果前文明が滅んでしまったという可能性も否定できまい。そこには当然生き残った者もいたはずで、太陽信仰側の人々が現在のインドのアウトカーストや日本で銛を使って漁をする人々であり、月信仰側の人々がクル族の末裔であるユダヤ人ではないだろうか。クル族とユダヤ人が繋がるならば、クルという国があったカシミールにユダヤ人の痕跡が残っていても不思議はない。
地球が周期的に温暖化と寒冷化のサイクルを繰り返す以上、海面の上昇と下降という現象も起こるわけで、その結果陸地の海岸線の前進と後退という現象も起こる。その結果、人類の文明が海に埋没することも当然起こるわけで、実際に海底から古代文明の遺物が見つかっている以上、数千年数万年という長いサイクルの中で人類文明が海に埋没し滅んだ、という出来事もあったはずである。古代の洪水伝説が世界共通のモチーフとして各地の文献や伝説に現れる以上、そういう出来事は確実に「一度」は起こっている。
「洪水」というのが実際の洪水だったのか、それとも世界的な大戦争の暗喩なのか、それはわからないが、少なくとも最後の洪水が起こった後、生き残ったのがユダヤ人である、というのが聖書の主張である。ユダヤ人とクル族が繋がるなら、航海民族であったクル族は、洪水の後に果たしてどこへ行ったのか。
例えばアフリカ東部のマダガスカル島は言語区分でインドと同じであり、実際に古代のシヴァ崇拝の痕跡が残っている、というのは前に述べた。つまりクル族は広範に海洋航海をしていたわけで、であればユーラシア大陸に移動した事実もあるはずだ。その中でも注目したいのはグルジア(ジョージア)で、この地名は元々「クルジア」という名称であり、シルクロードに弓月城と書いてクルジャと読む地名もあるから、つまり「弓月=三日月=クル」である。事実グルジアという国が国旗に三日月のマークを描いていた事実もある。
グルジアのあるコーカサス(カフカズ)地方には、ノアの箱舟が辿り着いたアララト山もあるから、古代に大洪水があったのなら、クル族は現在のグルジアに移動した可能性は極めて高い。現在の白人種はコーカソイドといい、コーカサス地方が起源だと言われているが、それは肌の色の白いクル族がグルジアから広まり現在の白人種になった、という事実を裏付けるものだろう。
ちなみにグルジアはスターリンの出身地であり、旧ソ連の体制がどのようなものであったかを考えれば、彼がクル族の流れを引く人間だった可能性は極めて高い。クレムリンというのもCRに由来する言葉であると思われる。ロシア革命はユダヤ人革命という色彩の濃い出来事であったと言われるが、クル族とユダヤ人が繋がるなら、その後のスターリン支配も当然だと言わざるを得まい。

八幡のルーツと弓月君

日本の八幡神は謎の多い神格で、未だに明確なルーツや「八幡」という言葉の起源なども明らかになっていない。八幡という言葉の起源については様々な説があり、中にはイスラエルの政治家が私見を述べたケースなどもあるようだが、未だ定説はない。八幡神社というのは日本で最も数の多い神社で、稲荷神社と並んで秦氏系の神社と言われる。総本社は大分の宇佐八幡宮で、製鉄神の側面もあると思われるが、航海神という色彩もある。
そもそも八幡神社のルーツは、応神天皇の時代に弓月君が秦氏を引き連れて日本に渡来し、秦氏がその恩に報いるために応神天皇を祭神にして日本各地に八幡神社を建立した、と言われている。この弓月君だが、弓月国から百済を経由して日本に渡来したと言われているが、そもそも弓月国というのはどこであるか。
再三述べてきた通り、「弓月=弓型の月=三日月」である。シルクロードに弓月城=クルジャという地名があるが、おそらく弓月国というのはコーカサス地方のグルジアであり、そこからシルクロードを経由して朝鮮半島に移動したのではないか。古代にインドからグルジアに船で移動したクル族の中に存在した彼らのリーダーが、その後東に移動し朝鮮半島を経由して日本に渡来したのではないか。それが八幡という名称の神社を建立したわけだから、八幡という言葉もクル族と関係があるはずである。
インドの古代叙事詩「マハーバーラタ」は、全編クル族の物語であるが、古代の核戦争を描写したのではないかと言われる記述があることからも、その成立は大変古いものだと言われる。このバーラタつまりバラタ族は、クル族にとって象徴的な存在だろう。であれば、このバラタという言葉をどこかで蘇らせようとしても不思議ではない。私の推測だが、「八幡」というのは「バラタ」の音訳ではないか。「バラタ→バハタ→八幡」という転訛を辿った可能性もあると思う。
弓月君がクル族のリーダーであり、また秦氏はユダヤ人であるから同時にクル族でもあり、彼らが自らの記憶を持ったまま日本に渡来したのであれば、その建立する神社に自らの象徴である「バラタ」という名称をつけても不思議ではない。それが八幡神社ではないだろうか。その総本社は宇佐八幡宮だが、以前述べたように大分の宇佐地方は秦氏の初期の拠点があった場所で、古代には宇佐八幡宮は非常に強い権勢を誇っていた。
弓月君がその後どういう変遷を辿ったのか不明だが、現在も日本に存在するのか、それとも朝鮮半島に移動してかつてのソ連と同じような存在になっているのか、私にはわかりかねる。ただ日本が「日出る国」を自称する以上、もし仮にその象徴が弓月君であったなら、それは虚偽(false=ファールス)だろう。イザナギが誓約(うけい)を行った際に、右目からツクヨミが生まれ、左目からアマテラスが鼻からスサノヲが生まれたが、前に述べたようにツクヨミは性別もはっきりせず記紀神話での活躍もほとんど見られない神格である。弓月君のその後の消息がわからないのと同様、日本において月神の立ち位置もはっきりしないのである。

[2021/04/05]

⑫海洋民族と三叉戟

秦河勝という名前について

「秦河勝」という名前が、モーセと同じで、「海から掬われた者/拾われた者」を意味するというのは、よく知られている。この意味だが、こういうことだろう。まず「ハタ」は古代朝鮮語で「海」を意味し、「カワ」は現代日本語の「カラ」と同じで「from」の意味、「勝」は文字通りvictoryもしくはsaveの意味で「救う」「掬い上げる」を意味すると思われる。つまり「秦河勝」で「海から掬い上げる」という意味になる。
モーセは生まれた時、葦の葉の船に乗せられて海に流され、エジプトで紅海から拾われたのでこの名が付いたが、秦河勝が同じ意味の名を持っている。そもそも「救われる」というのが何から救われるかだが、ユダヤ人が自らを苦難の歴史の民族だと“自称”し、常にそこからの救いを求めているとされていること、またその姓に「海」という意味の字を冠していることからもわかる通り基本的に海洋民族だったユダヤ人=秦氏が、海から掬い上げられるという発想を持っていること、この両者から、「救う」「掬い上げる」という名前になったものと思われる。

天皇とミカド

福井県勝山市から、新嘗祭の際に稲穂が献上された。その際、神主の役を務めたのは「門(かど)」という姓の人物であったが、カドという言葉に尊称のミを付ければミカドである。おそらくこの門という家が、古代のミカドだったのではないか。現在の天皇家がいつから日本の支配層になったかは、以前述べた文章の通り、第二層の秦氏が日本を制圧し、その後第三層の天皇家が渡来してからだと思うが、それ以前に日本列島を統治していた第一層の支配層が、ミカドだったのではないかと思われる。おそらく、海洋的要素の希薄だった第一層の日本列島をミカドが支配しており、そこに海洋民族のユダヤ系民族=秦氏・天皇家が渡来し、そこで抗争が起こり、負けたミカド側が現在の福井県に流され、稲穂を献上する役割を担わされたものと思われる。
海洋的要素に関して言うと、一番大きな違いは「船を使うか」「どのように漁をするか」だろう。第一層の日本人は、船で外洋に出る文化ではなかったと思われる。彼らが漁をどのようにしていたかだが、銛(もり)を使って魚を突き刺すという、いわゆる海人(あま)型の原始的な漁だったろう。クジラ漁も元来銛で刺して捕るやり方だが、同じく第一層の文化に属すると思う。
では海洋民族はどうかというと、当然船に乗って外洋に出て、漁にも船を使う。地引網を使って魚を捕るという漁のやり方は、明らかに海洋民族のものだ。ユダヤ人は砂漠を放浪したとかシルクロードで交易をしたとか、陸地を移動するイメージで捉えられることが非常に多いが、実際には海洋民族で、そもそもカナンは海のほとりである。ペリシテ人が海洋民族でユダヤ人とは対立していたと言われているので、その海洋性が大きく取り上げられることがないが、実際にはユダヤ人は海洋民族である。ソロモン王の時代に「ソロモンの栄華」を支えたのはその大船団で、現在の太平洋のソロモン諸島もその時代にユダヤ人が来ていたからその名が付いたと言われている。日本における彼らの主神とも言えるスサノヲも、その職能は「海原の支配者」である。

この「海洋性」だが、古代の歴史を考える上で最も重要な要素で、古代民族にどれだけの航海技術があったか、それを認めるか否かで解釈は大きく変わる。一般的に古代民族にはそれほどの航海技術はなかったと考える向きがあるようだが、それこそが「歴史を解明されたくない者」の情報操作が多分に加わっていると言えるだろう。実際には古代から航海技術は非常に進んでいたと考えるべきで、実際古代エジプトの遺跡からは巨大な構造船の遺構が見つかっているし、日本の大阪からもエジプト船の遺物が発見されている。「歴史を解明されたくない者」とは取りも直さずユダヤ人のことであるが、彼らが自らが海洋民族であったことを隠し、古代の航海技術の高度な発達を隠していることが、世界の歴史の全体像を見えなくしている一番の要因である。

新嘗祭は謎の儀式と呼ばれ、稲穂を献上する風習もその理由ははっきりしていない。もし古代に稲作民と非稲作民の抗争があり、それが秦氏・天皇家=第二層・第三層と第一層の抗争であったならば、よく言われるように「弥生人が船で稲作と差別を持ち込んだ」とすると、前者が海洋民族で稲作を持ち込んだ弥生人だということになる。新嘗祭がこの両者の戦いの勝敗によって成立した儀式であるならば、ミカド側は稲作民たる天皇家に、敗者の証として稲穂を献上しているのではないだろうか。

銛と三叉戟

日本において第一層が非海洋民族で、漁の際には銛を使っていた、と述べた。もっと言うと、この「銛」というのは「三叉戟」である。私は地球の文明を汎世界的に考えたいので、日本において第一層があったならば、世界的にも同じように第一層的な文明が広がっていたと考えたい。それが日本において海洋民族の襲来と支配によって取って代わられたならば、世界的にも同じような抗争と支配被支配の動きがあったはずである。
インドにおいてカーリー/ドゥルガーが牛の姿をしたアスラを三叉戟で殺すという神話があるが、これは氾世界的に同じ形式の神話が広がっている。牛の角は三日月の形をしており、三日月はクルで、クルは龍なので、つまり「水の中の龍を(太陽)神が三叉戟で刺し殺す神話」である。これはメソポタミアにも、バビロニアにも、アフリカにもヨーロッパにも、果ては朝鮮半島や新大陸にまで存在する神話型である。これが日本における第一層と海洋民族の抗争と同じく「古層と侵略者との戦い」を表した神話であったとしたら、古代の世界には汎世界的に同一の文明層が広がっていて、どこでも海洋民族との戦いが起こったのだ、と考えられる。
インドにおいてカーリー/ドゥルガーは色の黒い神であり、土着信仰に基づく神だと思われ、太陽信仰側に属する神格である。それが三叉戟を使って牛の姿をしたアスラを殺すのは、月信仰側の勢力を倒したという比喩である。汎世界的にその神話があるのは、古代に世界規模で太陽信仰と月信仰の戦いがあったことを示している。水の中の龍を殺す際(太陽)神が三叉戟を使うのは、彼らが漁の際に銛つまり三叉戟を使うことの比喩、龍とは海洋民族の乗った船を意味する比喩だろう。三叉戟はその「海」「漁」という最も対照的な両者の要素を端的に表すシンボルとして、ここでは現れている。
龍はクルだから当然三日月で、以前述べた文章のクル族とも関連があり、これがユダヤ人なら、まさに海洋民族たるユダヤ人が汎世界的に古層つまり太陽信仰の人々と戦いになったことを意味する。龍は邪悪の象徴だから、ユダヤ人が悪魔であることの象徴でもある。太陽信仰と月信仰の争いが、古代まで遡ることの証左として、「水の中の龍を(太陽)神が三叉戟で刺し殺す神話」は汎世界的に広がっているのだ。

尊称の“ミ”

尊称には色々あるが、その中でも「ミ」という尊称は、太陽信仰側のものだった可能性が高い。そのルーツはインドにあると思われる。例えば太陽はスーリヤであるが、SURYAに尊称のミを付けるとミスラになる。また日本において一戸~九戸までの地名は東北地方に存在するが、これがユダヤ人のコロニーだとすると、十支族でありながら十番目が無い。以前述べたように「戸」は戸来村や戸隠村に付く漢字で、ヘブライを表す可能性があるが、十番目が無いのは不自然である。もし尊称のミがそれに付いて「ミ戸」ならば、茨城県には水戸という地名がある。利根川という名称は、もし根の国というのが千葉県を表すのであったならば、戸と根を区切る川であるから戸根川となり、そこから利根川になった可能性がある。
ミスラはミトラであるが、そこから来たミトラス教が12月25日にその冬至の祭りをしていたことからクリスマスの行事が生まれたことは知られている。キリスト教が本来太陽信仰側の宗教なのは自明であるが、それが尊称のミと結びついているのは決して偶然ではあるまい。

[2017/07/22]

⑪太陽を否定する者

アスラとユダヤ人

古代のインドにおいて、十六大国時代と呼ばれた時代があり、それぞれが太陽崇拝と月崇拝に分かれて争っていた、というのは以前述べた。それぞれどの国がどちらだったのか、ということは明白になっていないようだ。しかしインドにやって来た(というのが定説になっている)アーリア人が月信仰だったのは疑いない。それはシヴァがソーマナータ=月の王という異名を持っていることや、ソーマ酒を飲む慣習があったこと等から明白である。しかしここで一つ強調したいことは、月信仰にも二種類あったということだ。一つは純粋に月を崇拝する立場であるが、もう一つは反太陽信仰からの月信仰という立場である。前者はアーリア人であり、後者はクル族ではないかと私は思う。
クルという国は現在のカシミール辺りに存在したと思われ、CRESCENT(三日月)の語源になったことからも月信仰側なのは明白であるが、彼らこそがアスラだったのではないか。アスラという語はアフラ・マズダーのアフラが変化したという定説が出来上がっているが、ASURAという綴りは、SURAに否定のAが付いた形である。SURAは太陽だから、それに否定のAが付けば「反太陽・太陽を否定する者」という意味になる。それ故に三日月をシンボルにしたのではないか。つまり純粋な月信仰ではないと思われる。そして牛の角はその形が三日月に似ているので、(三日)月信仰と角(牛)信仰は同居しているケースが多い。よって牛を崇拝するアーリア人が三日月信仰を持っていたのであり、彼らのそれは純粋な月信仰だったと思われる。まとめると、クル族がアスラであり、反太陽から三日月をシンボルにしていた。アーリア人は牛を崇拝するので角の形と似ている三日月を崇拝していた。いつの間にかそれが混同されて、両者を同一だとする誤解が生まれた。
クル族がカシミールを拠点とするのであれば、肌の色は白かったはずだ。カシミールはユダヤ人の痕跡があると言われ、イエスの遠征伝説もある。ユダヤ人というのは要するに肌の色が白い排外的な民族であるので、彼らが色の黒いインドの土着の人々を蔑み、太陽信仰に反旗を翻し、三日月をシンボルにして戦いを挑んだ、というのが真相だろう。
ユダヤ人の行う「過ぎ越しの祭」があるが、これはニワトリの頭を切って軒先にぶら下げる。これはニワトリが朝日・太陽の到来を告げる鳥であり太陽信仰のある意味シンボルであるから、その首を切って軒先にぶら下げるという、ある意味悪魔崇拝的な発想からだろう。彼らはその切り落とした首を自らの崇拝する邪神アブラクサスの頭部にして悦に入っているのだ。正に「太陽を否定する者」である。結局インドのアスラはクル族でありユダヤ人でもある、と結論づけてよかろう。

シヴァの女王

サンスクリットにおいて、語尾がAで終わるものは男性名詞、Iで終わるものは女性名詞のはずである。それはDEVAが男神を意味し、DEVIが女神を意味することから確かだと思われる。実際、神の名前を列挙すればそれが事実だとわかる。クリシュナ、シヴァ、ブラフマー、ラーマ、ガネーシャ、スカンダ、カールティケーヤ、インドラ、バララーマ等、男神はみな語尾がAで終わっている。またサラスヴァティー、パールバティー、サティー、ラクシュミー、カーリー、ミーナークーシー等、女神はみな語尾がIで終わっている。
よってここで疑問を呈したいが、多くの神が持っている「異名」であるが、これが男性名詞と女性名詞の法則に則っていないケースが多々見られる。例えばシヴァの異名にはソーマナータやパシュパティがあるが、前者はAで終わるのに対し後者はIで終わっている。またパールバティーの異名にはウマーがあるが、これはAで終わっている。こういう基本法則を無視した異名が数多く存在するので、サンスクリットで男性名詞と女性名詞の厳密な区分は行われていないようだ。しかしこれらが全て混同によるものであり、元々は男性と女性の区分があったとしたら、どうだろうか。特にシヴァのパシュパティは「獣の王」という意味であるが、語尾がIで終わるため女性名詞であるとすると、その意味は「獣の女王」ということになり、であれば「獣の女王シヴァ=シヴァの女王」ということになる。
古くからシヴァの女王はどこにいたのかということが議論され、インドのシヴァ神がその候補に挙がることもあったといい、シヴァが男神だから当てはまらないと結論付けられてきたようだが、パシュパティが「シヴァの女王」を意味するなら、これに関しては再考の余地があるといえる。またシヴァは体に火葬場の灰を塗っているが、以前述べたように塗らなかったらその肌は白いのかもしれない。そして体に灰を塗っている女であれば、これは「灰かぶり」であるから、つまりシンデレラである。シンデレラの説話は多数のパターンと類型があるが、元はシヴァの女王を表したものかもしれない。

サタンとは何か

インドの神には、語尾がAとI以外で終わるものもある。例えばヴィシュヌはUで終わるし、ハヌマーンはNで終わる。私はこれらも、パターン化できると思う。ヴィシュヌがUで終わるのは、マヌ法典のマヌつまり最初の人が同様にUで終わるので「根本原理」を表すと思う。またハヌマーンは猿の神であるから人間ではなく、選民思想の代表であるバラモンもNで終わるので、これは「人間ではない」ものが語尾Nで終わると思う。
SとHは入れ替わるが、秦氏のHATAも場所によってはSATAになるはずである。それに「人間ではない」語尾Nが付けば、SATANつまりサタンである。秦氏のルーツがどこにあるか、その痕跡がインドにあるのか、明白ではないが、彼らがユダヤ人であるならば、それがサタンであるから、冒頭に述べた「太陽を否定する者」が正に悪魔であると集約できるのである。

[2016/06/27]

⑩雑多な思考による雑多な仮説(その2)

迷える子羊

キリスト教において「迷える子羊」とは信徒のことを指すが、この「羊」はダビデが牧童であったためだと思われる。更に遡ると、インドのクリシュナが牛飼いだったことが、このモチーフの源だったと思われる。
「さかなへんにヒツジ」なら、朝鮮の『鮮』である。日本の神で朝鮮と関わりが深いのはスサノヲだが、これはヨーロッパの神ではヴォータンやオーディンと対応するといわれ、英単語のWATERはヴォータンに由来する。また日本書紀にも「スサノヲ=海原の支配者」と書かれており、これらの神格が水や海の属性を持つことは疑いない。日本でスサノヲを崇拝するのが渡来人系の人々なら、その祖国の朝鮮という語の『鮮』の字が、さかなへんに羊、つまり「海の中の羊」であるのは何故か。スサノヲを主神とする人々が自らを迷える子羊とみなし、スサノヲが海の神であるから「さかなへんにヒツジ」という文字を自国の呼び名にしたのかもしれない。では古代から朝鮮とユダヤ教・キリスト教の繋がりがあったのかということだが、これまで述べた通り日本において秦氏などのユダヤ系の人々が古代から居住し、秦氏のルーツは朝鮮であるから、関係はあったはずである。京都の祇園神社を建立したのは高麗氏といわれ、祇園神社は日本のスサノヲ崇拝の拠点であるから、古代から日本=海の中にある国に「迷える子羊=鮮の人々」は来ていただろう。ユダヤ人が自らを「水から救い上げられる者」と発想することは以前述べたが、だからこそ自らを「海の中の迷える子羊=鮮」と名乗ったのだと思う。
日本では赤ん坊が生まれると産湯につけるが、これは一旦水につけるというバプテストの影響である。水につけるという行為の意味だが、秦河勝やモーセの名が「水から救い上げられた者」という意味を持つので、それと同じに一旦水につけて救い上げる、ということだ。「赤=AQUA」なので、水につけることから赤ん坊と呼ばれるようになったのだろう。
日本神話でアマテラスはイザナギの左目から産まれ、スサノヲは鼻からツクヨミは右目から産まれる。アマテラスは別名を瀬織津姫(セオリツヒメ)といい、これはSEOUL(韓国の首都のソウル)のことだという。太陽神が女性なのは極めて珍しいが、日本でも太陽神は元々男神だったという。日本・南韓国・北朝鮮がそれぞれ3神のどれに対応するかだが、南韓国の首都がアマテラスの名を冠し、北朝鮮がスサノヲだとすると、日本はツクヨミになってしまう。日本は「日の本の国」を称しながら実際には月神の統治する国なのだろうか。太陽神が最高の存在なのはどこでも同じだから、実際には日本は太陽女神アマテラス=南韓国の影響下にあるということだろうか。太陽神が明確な男神でなく、神話上こんがらがって3神が成り立っているのは、日本の最大の不幸だろう。これら3神が産まれるのも、イザナギが川で行った誓約(うけい)からなので、生の誕生と水との関連が見られる。

二匹の獣

古代イスラエル王国が南北に分かれ、北の10支族はどこかへ消えてしまい、南の2部族がバビロン捕囚の後に祖国へ戻った。南は南朝ユダ王国であるが、元々ヘブル人とかイスラエル人と呼ばれていた彼らが「ユダヤ人」と呼ばれるようになったのは、ユダ王国の名称が元だろう。旧約聖書創世記第49章には各支族の紹介文が書かれているが、その中で最大の賛辞が送られているのはユダ族である。南朝ユダ王国はユダ族とベニヤミン族によって成るが、その両者の紹介文は全く対照的だ。ユダ族にはこれ以上ないほどの賛辞が送られ、一方ベニヤミン族には最低限のとってつけたような紹介しかない。イスラエル12支族がシンボルにするもののうち、最も強い生き物はユダ族とベニヤミン族のそれで、それぞれライオンと狼をシンボルにする。しかし創世記第49章でベニヤミン族は「のけ者」に等しい扱いがなされている。私は古代イスラエル王国が南北に分裂した理由やその背景などを全く知らない。しかしそのシンボルが南朝2支族は最も強い獣であるのを考えると、いわば「ライオンvs狼」のような構図があったのかな、と思う。その結果ユダ族が勝ちベニヤミン族が負けたので、創世記第49章のような紹介文になり、彼らを指す言葉として「ユダヤ」という語が一般的になったのではないだろうか。イエスを裏切るのもユダという名の人物だから、ユダ・ユダヤという言葉がその時既にマイナスイメージを持っていたことが推測される。
日本には動物をシンボルとする神社として稲荷神社があり、これは狐であるが、元は狼だったのかもしれない。聖書に「ダンは獅子の子」と書かれダンが弾左衛門だとすると、獅子(ライオン)・狼の南2支族に加えて、その配下(?)のダン族も日本に居住していたということになる。獅子は高麗犬であるから、獅子=ユダ族と敵対する、もっというと北朝鮮と敵対するのは、ベニヤミン族の子孫かもしれない。手塚治虫の「火の鳥」最終章「太陽編」で、日本古来の民族として登場するのは、太陽崇拝をもち狼をトーテムとする部族である。

契約と約束

旧約聖書・新約聖書の「約」というのは「契約」の約だというのは知られている。それはユダヤ人と神との契約を表すという。英語ではTESTAMENTだ。しかし単純な「約束」という語、英語ではPROMISEであるが、これを語源とする神がいる。それはプロメテウスで、神から火を盗み人々に与えたといわれる。彼はその罪により、岩場に鎖で繋がれて鳥に内臓をついばまれ、それが繰り返し繰り返し行われるという、永遠に続く苦痛を罰として受けた。このモチーフがゾロアスター教の鳥葬からきていることは明らかだ。人々に与えられた火は、ゾロアスター教が拝火教であることと通じている。この神プロメテウスの名は、単純な「約束」であるPROMISEからきている。一体古代の人々は、何を「約束」したのだろうか。グノーシスの末裔たる人々については、また稿を改めて述べたい。
ゾロアスター教が一神教の元祖だという意見を目にしたことがあるが、これは明らかに違うだろう。アフラ・マズダとアーリマンの両者が共に揃って初めて成り立つ「善悪2神教」であり、どちらかが欠けても成り立たない。例えば一神教の例としてのユダヤ教だが、これはヤーウェのみが神であり、それを邪魔する障碍として悪魔が現れる。一神教では、神は一人だけで、それ以外の悪魔などはただの障碍に過ぎない。つまりそれがいなくても成り立つ。一方ゾロアスター教は、どちらかが欠けても成り立たない。よって善悪2神教と呼べる。

[2010/11/30]

⑨雑多な思考による雑多な仮説(その1)

常に、そこにある道標

学問は自由足り得ないので、もし何かが明らかになってもそれを単純に積み重ねることが単純だとはいえない。よってそれを知った者が、どこかにそのモチーフを込めて何らかの作品を作ることもあるし、それらを隠喩暗喩などで著作に込めることもある。それが私のような一般人には知りえない/知ることは許されない事柄であっても、ある者は良心である者は別の意思で何らかの場所にそれを示して伝えんとすることは頻繁にある。手塚治虫の著作や「胡散臭い系の本」などには、そういう理由での彼らの何らかの発露がしばしば見られるため、有益であることが多い。全ての諸説は仮説であるので、その意味で私も如何なる情報も前提として、諸説の一つとしての仮説を自由に述べたい。

日本における別地域間の相関性

日本において、別地域(別領域)間に相関性があると考えられるケースはいろいろある。現代の県名でいえば、熊本ー山梨、大分ー群馬、大阪ー茨城、福岡ー青森、これらの相関性は種々の共通事項により可能性は高いと思う。
まず熊本ー山梨について。熊本は古代クマソのあった地域だが、手塚治虫の「火の鳥」にはヤマトタケルのクマソ征伐をモチーフにした一編があり、その中でクマソの首長の妹はカジカという名であるが、山梨県には鰍沢(かじかざわ)という地名がある(ある者は「大昔の鰍沢には幼子をかどわかしそこに連れてきて働かせる者がいた」と言う)。また「甲斐」という語は熊本地方で元々山中での荷物運搬を担う者の呼称だったという話もあるが、これは古くからの山梨の呼称でもある。また共に馬刺し=馬を食う文化があり、馬といえば山梨は武田騎馬軍団が有名だが、これは極端な話騎馬民族と同じタイプの軍といえる。山梨には甲斐駒ヶ岳や巨摩という地名もあるが、「こま」という発音は「高麗」と同じで「駒」は騎馬武者のことだ。日本においても高麗は騎馬民族だったという説は有力(のはず)だし、発音が同じであれば何らかの関連を持つのは当然なので、山梨が高麗(=騎馬民族?)と同じ「こま」という地名を持ち、そこに騎馬軍団で知られる一大勢力があったのは偶然ではない。クマソにしても本来「コマソウ」だろうから、熊本ー山梨両者の相関性はこれらから推測できる。
大分ー群馬については、まず足利尊氏は群馬で生まれたが大分の国東で死に、そこに墓がある。その際いわゆる神武の東征のルートを逆に辿って西へ向かったようだが、詳細は不明だ。両者に高崎山があり、また群馬県からは有力な(主流派の)政治家が複数出ている。高麗(高句麗)が騎馬民族だったかはともかく群馬の「馬」が何を意味するかだが、仏教の馬頭天王との関係があるならば、例えば同じく騎馬民族であるモンゴルも馬・馬頭を崇めるので、仏教において釈迦の下に牛頭・馬頭の2者がおり高麗が騎馬民族であったならば、その両者の流れを汲む者が現在の大分・群馬にそれぞれ存在したかもしれない。
また大阪ー茨城は、以前も述べたが、百済系(?)の勢力が大阪から茨城へ移動した経緯があり、鹿島神宮も同様に遷移してきたという説がある。「佐竹氏」は常陸の大名として有名だがこれも元々大阪の一族である。また利根川を「坂東太郎」と呼ぶことは知られるが、この言葉は近畿地方でも別の何らかを指す言葉である(それが何かは失念)。それに福岡ー青森は、棟方や太宰という姓の人物が青森から出たが、福岡には同名の大神社がある。(※博多の町の東端に川が流れていて「千鳥橋」という橋が掛かっておりそれを渡ると千代町であるが、「千の鳥=鶴」である)
上記に述べたいくつかの別地域間の相関性については、特定の姓(苗字)が多く両者に存在することも、関連を推測できる理由である。

重なり合う別概念の航海

キリスト教のいわゆる異端の一つであるネストリウス派は、古代中国の秦帝国に伝わり、そこで「景教」と呼ばれ盛んだったことが知られている。その際「大秦景教流行碑」という碑が建てられたのは有名で、これは日本の高校でも習う話だ。また古代日本に秦氏と呼ばれる強力な部族が存在したことも有名で、これは秦帝国の残党が朝鮮半島へ移動し、そこから応神天皇に招かれて日本に渡来したと言われる。その際の彼らのリーダーが「弓月の君」で、彼らはその恩として、八幡神社を各地に建て応神天皇をその祭神にしたといわれる。また、日本の全ての神社の8割は彼らに由来するとも言われる。(※言うまでもなく弓月=三日月)
埴原和郎の二重構造モデルは、南方系モンゴロイドが東南アジアから北上しそこから日本に渡来、その後北方系モンゴロイドが同様に渡来したとする。「呉越同舟」という言葉があるがこれはそれぞれ古代中国の地方国名であり、「越」は現在のベトナム地域をも指し(ベトナム=越南)、日本では「越=加賀地方」を指す。また、「呉」は現在の広島県にある町だが「くれ」と読み、「GO」はサンスクリットで牛の意味である。では日本における越の国つまり加賀だが、ここには白山と白山比咩(しらやまひめ)神社があり白山神社の総本社だ。この地方は一向宗の支配した地域だが、一向宗つまり浄土真宗は下層民の支持を受けた(もしくは下層民を支持した)宗派で、その勢力地に白山信仰(神社)の総本社が鎮守するのは自然である。その町名は元々「鶴来町」で、やはり「鶴」の字がつく。また「加賀=カガ」だが、日本の古語で蛇を「カガ・カカ・ハハ」といい、シラヤマヒメ自身も女性である。広島県には古代に秦王国があったといわれるが、秦氏の出自が判然としなくとも、古代中国の秦帝国の要素やその地で盛んだったネストリウス派キリスト教=景教の影響を日本に持ち込んだことは疑い無いし、これに関してはずっと昔から多くの者が指摘する通りだ。
では「呉越同舟」が「犬猿の仲の両者が同じ船に乗る」ことを意味し、つまり呉と越が本来対立するのであれば、その両者が付かず離れずの関係を維持し続けるのは何故か。浄土真宗とキリスト教の関連、いやむしろ共通性は、日本においては頻繁に語られる(ようだ)。それは浄土真宗が「念ずれば誰でも浄土へ行ける」、キリスト教が「聖書と神を信じれば誰でも救われる」という、共通したコンセプトを持つからだとある者は言う。日本では「誰でも=どんな身分でも」という意味だろう。私の考えでは、これはある意味「信仰の強制」で、逆に言えば「念じなければ浄土へ行けない/信じなければ救われない」と同意なので、つまりガネーシャの「信仰を怠ると災いがある」と同意だと思う。もっと言えば、そもそも「浄土へ行く/天国へ行く」も、前者が「=解脱」後者が「=永遠の命」ならば、グノーシス的な梵我一如と同一コンセプトでないかと思う。結局「成仏=仏になる=覚者になる」「永遠の命=神同様に永遠に生きる力を得る」というコンセプトなら、この考え方は実際には最も自力本願的であって、よって南伝仏教的で、それならば二重構造モデルにおける南方系モンゴロイドがそれを持ったまま北上しその後日本に渡来して、新羅仏教としてまずは国東に影響を及ぼした、と考えられる。ゆえに国東には「光は東方より」に由来する東光教があり、つまり「東から来た光が自分たちをそのまま西の方向へ連れて行ってくれる」と考え、西方浄土というコンセプトを作ったのかもしれない。
そして少なくとも日本においては、越つまり奴隷カーストと呉つまり支配カースト、もちろんそれはインドのカーストに当てはめての呼称であるが、これが「かごめかごめ」の歌詞に出てくる「鶴と亀」である。イスラエル六芒星をカゴメ紋と呼ぶが、スペイン北部のバスク地方の名産は「籠」で、ある者はインドから航海した人々がそこを勢力地にしたと言うが、ロシア南部の黒海つまり黒い海の東岸のグルジアも同様に彼らの勢力地であったと言う。以前述べたようにグルジアはキリスト教国ながら旧国旗には三日月が描かれ、(その近隣の?)クルジャという国は弓月国と書かれた。10進数なら 1→10→100→1000→10000 となるが、10=十=JEW、100=百=百歳(ひゃくさい)=百済、1000=千=千歳・千代=鶴、10000=万=万歳・万代・万世=亀、である。イスラエル族は12の支族によって成り立つはずだが、では他の2つはどこへ行ったのか。本来13の支族により成っているはずなのにそれを12にした理由は私には不明である。

忌むべき武神の末裔

仏教でインドラは帝釈天であるが、釋提桓因/帝釈天桓因ともいう。釋は釈と同義、提桓因は天主の意というが、堤は菩提の一字である。現在の朝鮮では「壇君朝鮮」という神話上の最初の王朝について教育しているらしく、壇君は壇君桓因といい桓因は帝釈天桓因つまりインドラだという。「桓」という字に理由・ルーツを意味する「因」を付けて「桓因」、つまり「桓のルーツ」ということだろう。「壇=ダン」だが日本の低カーストの尊崇の対象かもしれない。インドラは武神で、インドラに捧げられたヴェーダ内の賛歌を見ると、ある種狂信的な崇拝が感じられる。その後インドラは唾棄され罵られるようになり存在は地に堕ちるが、武神つまり将軍インドラ=帝釈天桓因は現在朝鮮でその祖として皆に崇拝を求めているようだ。北朝鮮の指導者の名である「日成」は「太陽に成る」、「正日」は「正しい太陽」の意といわれ、日と書いてイルと読むが、イランとイラクはIRAN、IRAQと書き双方「IR」と付く。モンゴル帝国が分裂すると当域は「イル-khan」国の統治下になったが、もし「IR=イル=日」で「AN=天神」「AQ=水(神)」ならば、日本語で太陽が出ている時間をヒルといい、HIRUと書いても言語によってはHを発音せずにイルと読むので「イラン=IRAN=IR+AN=天の太陽」になる。であればもう一つの悪の枢軸である北朝鮮の指導者の名に「太陽」という字がついても不思議は無いし、自らの存在を逆だと欺くのは彼らにとって基本である。一般的に「IRAN」はアーリアンに由来しそれは更に「アールヤ=輝く」に由来するというが、言語の相関関係と何者かによる作為の存在を考慮すれば、上述の内容も一考すべきである。加えて赤い旗をシンボルにする平氏は桓武平氏といい桓武は「桓の武」と書くが、その都の平安京にも「平」の字がつき、太平と書けばタタラと読める。平氏が厳島神社に奉じたスズキという魚は、「鱸=魚へんにタタラ」である。

神の隠し子の島?

イタリア南部のシチリア島はシチリアマフィアで知られるが、彼らはそれを「COSA NOSTRA=私達のもの」と呼ぶといわれる。シチリア島は元々アスクレピオスを信仰するギリシャ人の入植地だったらしい。現代になって、古代ローマで製作された「イエス・キリストの子供時代の像」を見たある者が、それを「アスクレピオスの像と同じである」と述べたらしい。現代キリスト教の隆盛はパウロの功績だといわれ、元々パリサイ派としてイエスを迫害する立場だったパウロが改心後、その教義を独自に変容させ実際に即した形に修正した結果、キリスト教の普及が加速したといわれる。パウロはその伝道の過程で地中海を航海中にシチリア島沖で遭難しており、その後再び伝道を続けるが、おそらくシチリア島民に救出されたはずだ。ではその人々の信仰する神アスクレピオスの像と、イエスの像が同じであるなら、その島を「私達のもの」と呼ぶのはどういう理由であるか。シチリアマフィアは大変熱心なキリスト教信者であるらしく、アスクレピオスは医療の神で、古代ギリシャでも蛇は医療のシンボルである。そしてパウロは「海から救われた」。「ダ・ヴィンチ・コード」のような事実がもしかしたら存在するのかもしれない。

[2009/07/30]

⑧海から救われし者達

地球の一点で思考を廻らせる行為

私がインドの概念や制度を念頭に入れつつ他地域のそれらについて考えても、それらが全て実体験に基づくものだとはいえない。私は日本でプロテスタント系の教会へ通っていたが、世界中の各(キリスト教)教会でどのような教義やコンセプトがベースになっているのか、また各派のそれらの差異の詳細までは知らない。よって「概ね~~だろう」という考えしか現在は持っていない。また、インド亜大陸が一つの概念でまとまっていてその中に種々の教派やセクトがあり、皆が対立摩擦を抱えながら基本的に一つのものとしてまとまっているのか、それともその中で恒常的に深刻な対立があるのか、私はインド訪問の経験が無いため実経験としては知らない。よってあくまでも「概ね~~だろう」という推測に過ぎない。これは現在の時点ではほとんど全てにおいて当てはまる。けれどもちろんそれは他のほとんど全ての人々も同様である。

各地の共時性もしくは各地への伝播

インドの三大神はヴィシュヌ・シヴァ・ブラフマーだが、これらの職能はそれぞれ「維持」「破壊」「創造」である。つまりブラフマーが世界を創造しヴィシュヌがそれを維持しシヴァはそれを破壊(しようと)する、という構図である。インドの最初の支配はアーリア人によって成立し、彼らの信仰はバラモン(教)だったゆえ、創造神はブラフマーになっている。それから数千年間現在に至るまでアーリア人が基本的にその位置にいるとすると、彼らの支配構造(?)を維持しているのがヴィシュヌということになり、それを脅かし破壊しようとするのがシヴァということになる。この三神の天体的対応は「ヴィシュヌ=太陽」「シヴァ=月」なのは言うまでもないが、ブラフマーは地球と思われる。インドの絵画でこれらが描かれる際、ヴィシュヌの臍から臍の緒のように伸びた紐の先に、小さなブラフマーが描かれる。これは「太陽の周りを衛星として小さな地球が周っている」概念だろうから、つまりこの三神はそれぞれ太陽・月・地球に相当する。
太陽が善なる支配者であり月がそれに対する障碍であるというのは特に珍しくない概念だと思う。しかしこれはあくまでも建前としての概念であり、よって公にこれを否定する考えを述べる者は見られない。実際大抵の古代宗教でも太陽信仰を謳っている。例えば「神が水の中の龍を三叉矛で刺し殺す」モチーフは各地の神話に見られるが、これは朝鮮半島やアフリカまた新大陸の神話にもあるらしく、インドにもあるモチーフだ。殺される側の「水の中の龍」として有名なバビロニア神話のティアマトは女でそれを殺すマルドゥクは男であり、ヘブライ神話のヤーウェとレヴィアタンもそれぞれ男と女だ(といわれる)が、インドにおいては「殺す側=女」で「殺される龍(牛)=男」と逆になっている。殺されたのは牛の姿をとったアスラで、ドゥルガー/カーリー/パールバティーは皆DEVA=月神側のグループに属する。他地域の神話を見ると「殺す側=太陽」で「殺された龍=月」のようだが、インドでは両者が月でその仲違いの末に片方が殺される、という形だと思われる。
どの生物でも必ず女が男を産むので、地母神つまり大地が女ならそこから産まれるのは男だ。旧約聖書のアダムは大地の土から産まれた男、ギリシャ神話でも地母神はヘラで女である。日本神話では太陽神がアマテラスで女だが地母神はいない(はずだ)。イザナギの黄泉訪問のエピソードがギリシャ神話と対応(酷似)しているのは有名だが、ギリシャでは「太陽=男神アポロ/地母神=女神ヘラ/冥界=男神ハデス」なのに対し、日本では「太陽=女神アマテラス/冥界=女神イザナミ」で、地神がいない。海神はギリシャが男神ポセイドンで日本が男神スサノヲであり、月神はギリシャが女神アルテミスで日本はツクヨミだが、ツクヨミの性別は定説が無いらしい。イザナギが黄泉から戻り筑紫で禊祓いをした際にその右目・左目・鼻からそれぞれツクヨミ・アマテラス・スサノヲが産まれたとされるが、つまり日本においては「月=右/太陽=左」でその下に海があるとなっている。インドでは右手は握手や食事をするための手だが左手は汚物を拭くための不浄の手とされ、同じ語族の英語ではrightは正義と権利をlightは光を意味する。また鼻は花と発音が同じで、花という字に源氏の「一族郎党」の郎を加えれば花郎になる。バビロニアのティアマトは「海中の女の龍」だが、これら各地の神話・神格に明確な属性法則のようなものがあるのかどうかは知らない。ただ日本において地神が明確でないのは興味深い。
インドでは龍を殺す際に使われた三叉矛はシヴァの三叉戟らしいが、以前述べたようにシヴァに付随する種々のシンボルは現在世界のあちこちでばらばらに存在している。それらのうち月(三日月)はイスラム教のシンボルで、その聖典のコーランは発音上はクルアーンで「CR-AN」であり、「天の月」と近似する。また三叉戟(三叉矛)は、現代のヨーロッパのジプシーがその巡礼を行う際に携えるといわれ、彼らは聖書に登場する「黒いサラ」を崇拝する。彼らの自称は「ROM」「ROMA」で、インドを北上した印欧語族だとみなされているらしいが、製鉄族の側面もあり、ローマ神話の製鉄神はボルケイヌス(VULCAN)だが、東ヨーロッパで狼をVOLKといい、この綴りはドイツ語では国民を意味する。ロムルス・レムルスが狼に育てられたのは言うまでもないが、これらの関連については不明である。他のシヴァのシンボルには蛇と牛があるが、つまり両者は同一のグループだとみてよかろう。インドラとシヴァは共に暴風雨神・天候神の要素を持ち同一ライン上に位置するので、両者は共に雷をその武器として持ち「金剛杵(ヴァジュラ)」と呼ばれる。またヤーウェもバールも天候神で「雲に乗る」といわれるが、スサノヲは「八雲立つ」出雲を拠点とする神である。スサノヲは海原の支配者で、秦氏のハタは古代朝鮮語のパタ=海に由来するといわれ、日本では「海神」と書いて「わたつみ」と読む。海神ポセイドンもネプチューンも三叉矛を持つが、これは海の妖怪トリトンや現在の悪魔のシンボルとしても定着している。
そしてシヴァ、というよりインドの(全てではない)神々に付随するものとして、額の第三の目がある。これは仏教のお釈迦様の額のほくろと同じで神秘・真理の象徴(またはそれを見るもの?)といえるだろうが、チベットの寺院にはそれを象徴した意匠が多いらしい。もしシヴァに付随する要素が各地に散らばった=それを崇める者たちが各地に散らばったのなら、第三の目も一緒にどこかへ行った筈であり、よく話題に挙がる「フリーメーソンの”真実の目”」はその遺宝かもしれない。

■余談だが、よくいわれるように「世界(ユーラシア大陸)の西の方では龍・ドラゴンは悪なのに、東の方では善」というのがある。もっといえば東の中華思想の影響地域では、龍は天に在る神聖な神(の使い)だとみなされている、と概ねいえるはずだ。インドにおいて「水の中の龍を殺すエピソード」が龍ではなく牛を殺すことになっており、また牛崇拝が角やバール崇拝と関連がある以上「龍≒牛」と考えられるため、中華思想では龍が天に在り、またギリシャでもゼウスが牡牛の姿をとり天から降るつまり牛が天に在るというコンセプトなので、両社は共通している(※インドのその説話では「牛=アスラ」なのでやはりイランとの関連が考えられる)。つまり東の方では龍は神聖な存在で、西の方では龍が邪悪の象徴である代わりに牛が神聖な存在であると概ねいえ、だとしたら龍と牛の明確な区別・定義が必要だろうが、私には判りかねる。ちなみに英雄サムソンの説話で知られるダゴンだが、英単語の龍=DRAGONのRを母音として発音しなければダゴンである(サンスクリットでRは母音)。また古代イスラエルでヤーウェとアブラクサスへの信仰が混同していた時期もあったらしいが詳細は知らない。

存在外の概念と既存概念内のヒント

現在の世界における「教育≒概ね共通認識である概念の定着化」において存在しない考え方や概念というのはいろいろあり、当然その中には事実が存在するが、それを時間に比例してに着々と解明していく行為というのは為されなかったし為されない。だが既存の一般的概念内にもいろいろなヒントや示唆が存在することは多々ある。
例えばインドにおいて牛は聖なる動物だが、これはアーリア人が来る以前から存在した概念かどうか疑わしい。古代においても(その最上位に位置する?)バラモンたちは、牛を食べその力を自らのものにせんとする慣習を持っていたらしい。もしその慣習が現在もあるならば、牛を殺す=屠殺する(カーストの)人々は、最大の悪(とされている行為)を犯すことを知りながら制度上それに従わざるを得ず、たとえ生まれ変わろうとその悪徳により再びそのカーストに生まれなければならないという、無限に最下層に留まり続ける思考を持ちながら生きねばならない。その輪廻転生という概念が論理的科学的に証明できなくとも、それが「事実である」とされてから数千年間、彼らは常に最下層に在る(はずだ)。結局「生まれ変わればなんとかなるさ」という思考は、イコール「社会を変えるのではなく生まれ変わってもっといい暮らしができることを願おう」と同義で、これは「人生は一度きりだし自らの子孫の為に社会を改善せねばならない」という思考の真反対である。つまり前者の「生まれ変わって改善されたい」というのは『=輪廻転生思想』である。よってインドにおいてこの概念が事実であるとされてから、その忌むべきカースト(ヴァルナ=色)制度を無くそうとする者はおらず、皆「生まれ変わればもっと良くなるかもしれない」という諦めの中で最悪の社会制度を維持してきた。それが間違いであるという概念が存在しなければ改善という発想も存在し得ない例である。
日本での例を挙げると、神社の境内に巨大な注連縄が掛かっているケースがある。ある者は「注連縄は蛇の象徴である」と述べるが、出雲大社や三輪神社には掛けてあるが伊勢神宮や宇佐八幡宮には無い。私の印象では天津神系の神社には無く国津神系の神社にあるような気がするが確証は無い。出雲大社が元々、以前述べた「日本列島における最初の層」の拠点であり、その人々が「アラハバキ=荒蛇斬=荒ぶる蛇を斬る神」を崇拝していたのなら、インドで牛を崇める者たちがその肉を食べその力を取り入れようとしたように、彼らも神が倒した強大な蛇をそこに祀り崇めたのかもしれない。もしくは伊勢神宮と宇佐八幡宮に掛けず出雲に掛けてあるのは、両者が別系統であると主張せんがためであるかもしれないが、それはもはや象徴的な意味合いでありこれらの神社は皆一つのまとまりの中に入っているのが現状のはずで、何故なら現在の出雲は最初期の勢力下にはないはずだからだ。象徴=シンボルだが、世界のどこでも自身の痕跡を抹消するという行為は誰もとらないので、例えば日本なら神紋や家紋などのシンボルの中にその痕跡を残しているケースもある。よってもし注連縄が蛇を意味するなら、それが掛かっている神社と掛かっていない神社では必ずしも信徒の考え方が異なる、とは即断できない。一目瞭然なオブジェとして巨大な注連縄が掛かっていればそれはその信徒の主張ととれるが、掛かっていなくても単に偽り隠すためかもしれないからだ。例えば巴紋は蛇をシンボライズした紋章だという説があるが、宇佐八幡宮の神紋は巴紋であり、また三種の神器の「勾玉」は巴紋と同じ形状である。また大韓民国の国旗は「二つ巴」で、赤い蛇と青い蛇がお互いの尾を噛むようなデザインだが、この二つ巴三つ巴などの複数巴紋は、グノーシスのシンボルであるウロボロスと同一コンセプトの可能性がある。また日本にはアオダイショウという蛇がいて「アオ/青」が何を意味するのか不明だが、現在の青森県=アオの森には十和田湖があり、これは「十の和田=十のワタ/ワダ/パタ/秦」だろうが、周辺には有名なキリストの墓伝説がある。インドのシヴァは「ニーラカンタ=青い喉」という異名があり、喉が青い理由として蛇に噛まれたとか蛇の毒を飲んだとかいわれるらしいが、つまり青≒蛇のことだろうか。だとすれば蛇を崇める者たちが集まっていた湖のある森を青森と名付けたのかもしれない。また沖縄の古語で蛇をヘブルというが、日本の北端と南端に同一要素が分移したというのは二重構造モデルの骨子である。このように紋章や国旗や名詞などの中にも、再考すべきヒントはいろいろ存在する。
他にもインドにおける概念に、例えば象頭の神ガネーシャがネズミを乗り物にするというのがある。ガネーシャの要素には謎が多いが、奴隷カーストの主神であり魔人=ヒドラの長である象神がなぜネズミに乗るのか。インドにおいてネズミは太陽の使いとされるが、ガネーシャは月神なので太陽の使いをその下に敷く理由を考えると二つの可能性がある。一つは「1.太陽信仰の者たちが月神側に寝返って下についた」もう一つは「2.魔人が太陽信仰の者たちを踏みつけている」である。前者であればクル族の要素・属性が釈然としないことと関連付き「=堕天した者たちは神の傍から悪の側へ堕ちた」と考えられ、後者なら「=月に負けた太陽の使いが最下層にされた」と考えられる。干支の一番目はネズミで、そうなった理由を説明した説話には「牛の頭に乗って上手く利用し自分が一番の座を横取りした」とあるが、その説話ではネズミが愚かな牛をいいように利用している。つまり呉越同舟といわれるように、この両者は基本的に相反する存在だが、付かず離れずのように共存してきたと思われる。よって私は上記の二つのうち1=悪の側に寝返ったと解釈するし、魔人がネズミを下に敷くのは、日本で仁王象が鬼を踏みつけるのと類似したコンセプトだと思う。
また前述したようにジプシーは自称を「ROM」「ROMA」というが、当然ローマ帝国もROMAと書く。日本人神学者のある著作によれば「ポンテオ・ピラトは賢人だったが、当時の堕落したイスラエル王(ヘロデ・アンティパス)と、パリサイ派に扇動されたその民衆により、やむなくイエスを磔刑に処さるを得なかった」と書かれている。また数年前のメル・ギブソン監督の映画「パッション」も全く同様の内容である。だが(少なくとも私の通った教会では)ポンテオ・ピラトこそイエス処刑の張本人だとみなされているようだ。つまり事実がどうあれ、JESUSを殺したのはローマ総督のピラトだとなっており、つまりROMAが殺したとされている(※ローマの始祖は狼に育てられた兄弟だが、イスラエル12氏族のうちベニヤミン族は狼をシンボル(トーテム?)にする)。ジプシーの言語で「神=DEVEL」だが、彼らは三叉矛を「黒いサラの巡礼」の際に携えるといわれ、そのオブジェは現在悪魔のシンボル・武器である。そしてそれを用い水の中の龍を殺す神の神話が世界各地にある。ジプシーが印欧語族で製鉄族でもあるなら、結局ヒッタイトが関係してくるように思うが、今の私にはわからない。製鉄と「一つ目」の関連はどこでも共通だろうし日本も同様だが、前述の「(フリーメーソンの)真実の目」はこちらに由来するかもしれない。

維持か救済か

冒頭で述べたがインド三大神の職能は創造・維持・破壊である。もしこれをそのまま時系列順に並べると、ブラフマーつまりバラモンが造った地球を太陽であるヴィシュヌが維持し、それをシヴァが月から壊そうとする、となる。このコンセプトは古代からのいろいろな場所でのコンセプトと、共時性ではなく伝播性を持っている。極論すれば、共時性なんてものは「みんな偶然」と片付けることで、伝播性のように「ルーツ・原因を探って究明しよう」と思考せんとする発想とは真反対の、智を放棄した考え方である。よってこの「創造→維持→破壊」というコンセプトと、同時に「輪廻転生思想」という再生思想が基本であるインドにおいて、アーリア人/バラモンがその支配者でありみんなそこから他の場所へ伝播していったと考えるなら、現在の地球(≠世界)の主人達は今現在の社会の状態をずっと維持したいと思っていて、しかしいつかそれは破壊されるが、再び自らの手によって創造されしばらく維持されて、いつかまた壊されても再度創造され…と思っているのかもしれない。
英語の動詞「SAVE」はスペイン語では「SALVAR」で、これが「~する者」と変化すればそれぞれ「SAVIOR」「SALVADOR」になる。英単語のSAVIORは救世主と訳されるが、スペイン語のSALVARは「サルベージする」ことなので「SALVADOR=救う者」であると同時に「SALVADOR=水から救い上げる者」である。つまり以前述べた「モーセ/秦河勝/ヒルコ」と同じコンセプトだ。またSAVEもSALVARも「守る/保存する/保つ=維持する」という意味を同時に持つ。したがって、以前述べたように各言語は相関関係を持つケースがあるので、英語でもスペイン語でも「救世主/救ってくれる者」は「維持してくれる者」と同義である。つまりこれらの言語のコンセプトにおいては、今現在の社会の状態を維持してくれる者こそ救世主である、ということだ。これらの言語は元々一つの祖語でインドの言語も同じである。それらを話す人々が元々一つであり神への概念も基本的に同じだから、インドにおいて「太陽神が今の世の中つまり差別社会を維持しているのだ」という『嘘の概念』が事実化されている以上、インドから各地へ伝播したなら地球の主人達は皆その状態を維持したがっていてそれをしてくれる者を救済者だとみなしている、ということだろう。そして彼らにとってそれが誰かといえば、文字通り「水から救い上げる」という名を持つ者だろう。彼らは元々水の中にいた龍だったのかもしれないし、大洪水で全てが水没した時に海を漂ったことがあるのかもしれない。彼らが船から飛ばした鳩は何色だったろう?
私はサンスクリットや他の古代語におけるSAVEやSALVARに対応する語を知らないが、今の世界標準語では前述の通りだ。英語のLIBERTYもスペイン語のLIBERTADも「釈放/解放」の意味を持つので、結局FREEDOM足り得ない者たちは、何かしらの枷にはめられているという妄想から抜け切れないのだろう。解脱という概念は彼らにとって正に言い得て妙である。しかしヴィシュヌは実際には何もしておらず、その中に隠された色の黒い本当の太陽神に何もさせず「REMAIN」にしておくための隠れ蓑であるから、いつか本当の太陽神がRE-MAINつまり再び主になる、のかもしれない。
「誰かと比較して救われた状態にする」なら相対的救済に過ぎないが、「全ての人々を救う」なら絶対的救済である。救うというのでなく幸せにするのが主の役目だろうと私は思う。

[2009/06/22]