シャクティについて私見

インド(ネパール)のお釈迦様はアーリア人戦士階級であり、仏教を創始したが、仏教は「宗教」ではなく「社会変革運動」だった。インドを色の白い人間たちが支配するようになりカースト差別制度が確立し、そこでは最上位のバラモンが最も偉く、土着の人々は虐げられた。当然女性に対する迫害や性的暴行なども行われたのは、現在でもインドがレイプ大国と呼ばれ、バラモン教が選民思想・差別主義なのを考えれば言うまでもない。
そういう古代インドで、戦士階級がバラモン支配を打倒としようとしたのが本来の仏教で、カースト序列をクシャトリヤをバラモンの上位に置こうとする、要するに社会変革運動だった。

インドに限ったことではないが、性的概念や女性への認識について、論が一貫せずにゴッチャになっているケースをよく見る。例えばインドなら、シャクティというのがあり「性力」と訳されるが、これはフロイトのリビドーの概念同様、ゴッチャにして誤解している場合が多い。リビドーは性欲こそ全て、すべての根源は性欲つまりセックスへの欲望なのだと勘違いしているケースがあるが、単純な性欲ではなく「人が異性を愛すること」が根本で、そこから愛の到達点としてセックスを欲するというのが本来の意味。だからシャクティも二つの意味があって、一つは「異性に対する愛」、もう一つは「女との性行為」で、前者を一般民衆が信仰し後者をバラモンが追求し、両者が混同されている。
シャクティ信仰はベンガルで盛んというが、ベンガルはカルカッタがありこれはカーリー・ガートつまりカーリー寺院から来た地名で、カーリー崇拝が盛んな地域である。隣接するオリッサはベンガルと言語的に近く、漢字ならオリッサは「意利佐」で、これは新撰姓氏録に「八坂造の狛国人」として見られる人物と同名。つまりオリッサ・ベンガル・バングラディシュは日本民族の源流の一つなわけで、そのエリアにはマガダ国があり、ナンダ朝がマウリヤ国に乗っ取られるわけだから、明白な支配被支配の社会構造があった。だから当然下層民衆の女性が虐げられるケースは多かったろうから、それがカーリー女神つまり「怒れる土着女神」信仰を生んだ。一般民衆はその女神を崇拝しそれがシャクティ信仰になり、だけど支配層は女性を虐げる立場だから性行為を目的とする思想を持ち、それまでシャクティと呼ばれて、両者が混同されてゴッチャになった。

お釈迦様が女性をどう認識したかは、彼は別にフェミニストではなくあくまで「アーリア人戦士階級」なので、男性的な考え方を持っていたから、しばしば女性蔑視をしていたと誤解されるケースがあるけれど、社会変革運動として女性の権利や生存を守ろうという考えだった。彼の死後、仏教がデタラメや誤謬が大量に付記されて本来とかけ離れたものにされてしまい、終いには沙門宗教だった仏教がバラモン教と同じにされ、教義に「生まれ変わるなら男に生まれ変わりたい」とまで書かれるようになり、存在意義を失いインドから消えてしまった。
仏教は煩悩の除去が解脱への道と説いたが、この「煩悩」の概念が現在の日本の煩悩と同じなら、結局バラモンの性行為追求・女性迫害の考えを批判したに等しく、くさい言葉で言うなら「女を見て性欲ばかり湧いてるんじゃ解脱できないよ」と同じ。

同様に誤解されている似た概念としてマチズモ(マッチョイズム)があるが、これも「男性上位主義」「男が女を力で支配すること」と勘違いしているケースが多い。それについてはスペンサーシリーズの「約束の地」という作品を読めば理解し易い。

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