美人とブス一考

俺は基本的に女はバカだと思っているし、実際に歴史上に名を残した女というのはほとんどおらずもしいても悪名だったりするケースが多々ある。もちろん男とは根本的に異なる生物なのでそれが高低とか優劣とか善悪とかとイコールではないだろうが、基本的に女はバカだと思う。
これから女というものに関して俺の主観を伴った多少の一般論を述べてみよう。

まず女の魅力というのは多分にその外見に左右されることが多い。つまり「美人」と「ブス」である。もちろんそれだけではなく知性と教養、人間性や人格、能力や才能によっても左右されるが、そういった要素は外見やパッと見だけではわからないので、やはり最初は外見によって女は異性つまり男を惹きつける(今回は異性愛者のみに関して論を述べるので、同性愛者に関しては触れない。よって女を惹きつける女というものに関してはノーコメント)。
外見の良い女は、若い頃は「可愛い」と言われ大人になれば「美人」と呼ばれることが多いだろう。こういう「美しい女性」は女性にとっての第一要素である外見が良いという事実により、基本的に他人から卑見されることがまずない。よって他人からマイナスイメージで見られることが第一印象においては少ない。
ではブスはどうかというとこの正反対で、若い頃からそして大人になっても「ブス」と思われ続ける。当然他人からの第一印象も「ブスな女」というものであり、卑見されてマイナスイメージを持って見られることがほとんどである。
外見というのは二つの要素に起因する。先天性と後天性である。前者は遺伝的な要素に拠るところが多く、血縁や血筋また遺伝子にも依存する。後者は所謂「人間性が顔に現れる」というやつで、正しい人ほど良い顔をしていて邪悪で下劣な人間ほど卑しい醜悪な顔をしている、という一般的な事実のことである。一例を挙げると金◯日や日本の某政治家が人前に出るのも憚られるが如き人相をしているという事実のことだ。
もし美人がいたらその人は「遺伝で顔が良い」か「人間性で顔が良い」かであり、ブスがいたら「遺伝で顔が悪い」か「人間性で顔が悪い」かである。もちろんその両方が伴っている場合も多々ある。
しかしここで一つ付け加えると「精神は肉体を超越する」という事実の存在である。これに関しての科学的・医学的な根拠の是非は置いておいて、事実として科学が万能足りえない以上これまでの人類史における種々の報告事例からそれは事実だと言わざるを得ない。
つまり人間性というものが当然その各個人の精神に左右される以上、仮に遺伝的に外見が良かったとしてもまた悪かったとしても、それはその女性の精神つまり人間性によって後天的に変化し得るということである。
ということはだ。もし美人に生まれても、人間性が良ければ美人のままで人間性が悪ければブスになる。またブスに生まれても人間性が良ければ美人になり得るし、人間性が悪ければ輪をかけてブスになる。こう断言して良いと思う。

ここで今までの論を簡潔にまとめると以下のようになる。

 【美人1】=生まれた時から美人で、尚且つ性格が良い人
 【美人2】=生まれた時はブスだったが、性格が良いので美人になった人
 【ブス1】=生まれた時は美人だったが、性格が悪いのでブスになった人
 【ブス2】=生まれた時からブスだったが、性格が悪いので更にブスになった人

補足すると世の中には「整形美人」というのも一応いるがこれは例外であり、整形をしなければ当然ブスだったわけだから、ブスのカテゴリーに分類してよいと思う。1と2のどちらに属するかはその人間性に拠る。

さて、では一般社会における美人とブスの存在状況は果たしてどうだろうか。
一応俺は一昨年までずっと日本で暮らしてきたので日本社会のことはよく知っているが他の国のことはまだあまり知らない。よって今回は「日本社会における日本人の女の中での、美人とブスの存在状況」に限定して論を進めたい。
まず美人であるが『美人1』は最も数が少なく、もしいれば「高嶺の花」と呼ばれることもある。内面も外面も優れているため欠点が無いと言ってもよい。人間性が良いためそれが外面に更に磨きをかけ一層の美しさを醸し出す女性のことである。おそらく探し出すのは非常に困難だろうしもしいても求婚者は最も多いだろうから、最も競争率が高くまた獲得が困難な女性である。
次に『美人2』は所謂「性格美人」である。確かにブスかもしれないが性格が良いので男に人気があり、そのため更に人間性が屈託無いものになり性格が良くなる。その結果本来の外見よりも美しく見えブスだという印象をあまり持たれない。よって普通に求婚される機会も多いし人間的にも正常な女性である。
『ブス1』は素材としては正常なのに生きる環境や人間関係、また受けた教育や本人の人間性により、精神が常人とはやや異なった方向へ向かい、それが外面に現れ不安定な表情や違和感のある顔の各部位の配置をしている女性のことである。本来の外見よりもブスに見え精神の発露たる性格も悪い。所謂「性格ブス」のことである。このような女性は特殊且つ多種多様なコンプレックスを抱えているケースが多い。
『ブス2』は生まれながらにしてブスであり尚且つ生活環境・人間関係・受けた教育などの後天的な要素により更に人間性が悪くなり、それが外面に発露してどうしようもないブスになった女性のことである。ブスであれば当然周囲からの「あの人はブスだよね」「あいつブスだよな」という有言無言問わない視線を受けることになる。この際人間性が良いつまり精神的にタフで前向きな考えを持っていればそれを克服して『美人2』になることができる。しかし人間的に矮小かつ脆弱で卑屈な思考をしている者は更に自己を卑下し精神的に降下していって、それが外面に現れてどうしようもないブスになってしまう。「顔も悪けりゃ性格も悪い」というやつである。それがこのケースである。

大きく4つに分類したがもちろんこれは極論的な類型化であり「大体この4つに分類できる」ということだ。多かれ少なかれ女性というのはこの4つに分類できる。
つまり簡単に言えば「女性の美はその人の性格つまり人間性に左右される部分が大きい」と言うことができるわけだ。「性格の良い女=美人」「性格の悪い女=ブス」と言っては言い過ぎだが、「性格の良い女=もてる・魅力的」「性格の悪い女=もてない・魅力が無い」というのであれば概ね納得できるだろう。世の男の大半はこう思っている(多分)。悪い人間性は他の全ての長所をスポイルする。
種々の情報と経験を総合して得られた俺のこれまでの認識によると、数の上では「美人2>ブス1>ブス2>美人1」である。つまりほとんどの女性は元来の顔はそれほど良くないが人格的にも特に問題はない。しかし普通の顔をしているのに性格の悪い女とかブスの上に性格も悪い女も結構いて、顔も性格も良い女なんてほとんどいない、ということだ。
日本という社会を観察すると概してブス1が最も性格的には陰険であるケースが多い。中学校や高校で虐めをしてるような女というのは大抵このタイプだと思われる。ブス2が虐めの対象になるケースは少なくないがその場合男から幼少時に虐められるケースが多いようである。しかし男はローティーンにもなると身近な女性を(性の)対象にしてマスターベーションをするのが普通なので、それくらいの年齢になるとブス2には関心を持たなくなる。美人1には二種類あり、何らかのバックボーンがあれば自身に正当な自信を抱きながら成長できるが、無い場合には特にブス1の虐めの対象になるケースがある。美人2はほとんどの男が10代20代に友達になったり恋人になったりするような言わば普通の女性である。

おそらくほとんどの男が無意識に思っていることだろうが、自分のことを可愛い・美人だと思っていない女はヤバイものだ。女は化粧をする生き物だが、多少素材が悪くても自分に自信を持って化粧をして男を惹きつける努力をするとか、外見を良くすることに情熱を注ぐとか、鏡を見て自分にも魅力があるんだと思うとか、そういう発想が無いとはっきり言って異常だと思われる。もし「自分はブスなんだ」と本気で思って疑わず、自分はブスだから何をしても無駄なんだとか思っている女がいたら、しかもそれが成人した女性だとしたら、これは相当な程度でヤバイ。こういう女はただでさえ男から疎遠に扱われるのにそれを改善せず諦めているので、自分にあまり関心が無い。
自分への関心が強い人は他人への関心が薄くよって自己発展にその精力を注ぐため、生きた期間と比例して能力が高まる傾向が強い。しかし自分への関心が薄い人は逆に他人のことばかり考えているため自己の発展という発想が希薄で、いつになっても能力が低いままである場合が多い。汎世界的にどの分野においても優秀な人ほど自己完結的で他人のことをあまり意識していないのはこのためである。早い話が「他人に関わっている暇は無い」のだ。
女性に関しても同じで、自己発展つまり「自分を美しく見せよう」という意識のある女性はそれほど他人に関心を持たず自分の美を高めることに注力するため、美しさは徐々に高まりそれゆえ更に人間的にも良くなり更に美しくなる。好循環である。
しかし「鬱屈しているブス」と「諦めているブス」は「精神が悪い」という共通項を持っているので、更にブスになっていき当然死ぬまでブスになり続ける。こういう女の行き着く先は「醜悪な性悪ババア」だ。成人したところで改善される点はほとんど無いので当然その精神の発露である性格が悪く、また他人のことばかり考えているのでいつでも誰かのことを攻撃していたり悪口を言っていたり嘘を吐いたり他人を陥れて喜んでいたりする。日本ではこういう女性のことを「お局様」と古くから呼称してきた。形容表現を伴った語で表せば「結婚できない女」である。
人間性と知性は必ずしも一致せず、最低の人間性を持った者が高い知性を持っていることがある。しかし低い知性しか持たない者が高い人間性を持っていることはほとんどありえない。「頭の良い奴には善人も悪人もいるが、頭の悪い奴はほとんど悪人」ということである。これは当然で、頭の悪い奴は善悪の区別がつかないので悪事ばかり働く。頭の良い奴は善悪の区別がつくが中には悪いことをして何らかの利を産もうと企む者がいる。そのためである。
これを追加要素として考えると「頭の悪い女」は概ね人間性も悪い。前述の類型化から「性格つまり人間性の悪い女=ブス」なので、「頭の悪い女=ブス」すなわち「ブス=頭が悪い」と言うことができる。したがって女性人口全体における単純な比例式により、頭の良い女性ほど美人で頭の悪い女性ほどブスだ、と結論することができる。

よって男は単純に美人を選べばいいのであって、ブスは選ぶべきではない。何故なら人にとって最も大切なのはその人間性であって、性格の良い人間的にも正常な所謂「いい人」と結婚しないと後々が大変だからである。
「結婚は人生の墓場である」というのが誰の言葉だったか忘れたが、それは世の大抵の人がちゃんと相手を選ばずに結婚しているからだろう。夫婦間の関係も維持できないのでは正常且つ正しい人とは言えない。何故なら子孫を残すことは生物の最も基本的な本能であり義務であって、動物でさえドメスティックバイオレンスも離婚もしないからだ。

最後であるが、何事にも「例外中の例外」がある。そして世の中には計り知れない事実と現象がある。全てを類型的に考えたりステロタイプに考えることは間違いであり本稿についても同様である。しかし大半以上のほとんど全ての人(間)は「例外」ではないので、概ねこのように考えて問題無かろう。

[2009/01/16]