吉川弘文館「日本史年表・地図」を見てると、なーんか(日本の)歴史の授業って肝心な流れを教えないんだなって。
そもそも天皇家が万世一系なんて非科学的であり得ないし、清和源氏と桓武平氏、大覚寺統と持明院統などあったわけだし、少なくとも二つに大分できる勢力が争ってたのは明白。
自分の復習のためにその本を見て、流れをまとめると、
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遣唐使はじまる
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大化の改新
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白村江の戦いで朝鮮半島から撤退
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壬申の乱
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藤原京遷都・平城京遷都
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東大寺の大仏などの仏教文化
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平安京遷都
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坂上田村麻呂と桓武平氏の登場
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藤原氏の勢力伸張
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菅原道真が遣唐使廃止
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菅原道真が大宰府に左遷
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平将門の乱
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藤原氏の摂関政治
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源平時代
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大まかにこんな流れ。
大化の改新が「韓人、弓を射る」を考えても新羅の介入があったのは明白で、唐と新羅は連合していたから、遣唐使の正体が単なる「進取の文化学問を学ぶため」であったはずはなく、日本国内で政権転覆を引き起こす陽動だったのは明白。それで負けた側が報復として朝鮮半島に攻め入ったが、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗北。その後再度内乱が起こって、天武天皇が即位し国号を「日本」に定め、藤原京と平城京は日本式の工法で建造されたという。
しかし再度天智系といわれる桓武天皇になり、唐の思想・工法で平安京を建造。その後は藤原氏の貴族政治が始まり、対立する菅原道真が遣唐使を廃止するが大宰府に左遷される。そして平将門と藤原純友は反乱を起こすが鎮圧され、そこから藤原氏の摂関政治になり、平氏の時代になって、源氏が反旗を翻し源平合戦へ・・・。
万世一系なんてファンタジーを前提にしてるから正確な歴史像が掴めないのであって、地方王朝の豪族が中央に移動してきたり、地方王朝の王名を系図にねじ込んだり、いろいろあったはず。だいたい「桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫」とかいう「続日本紀」の記述は、当時から史書を捏造改竄していたはず。
朝廷は「日本的な勢力」と「半島・大陸よりの勢力」が対立していたとしか思えないから、それが理由で国を二分する源平合戦・南北朝の動乱・明治維新などが起こった。万世一系を前提にするからどっちがどっち側なのかわかりにくいが、その辺は朝廷の真相なんてのがわからない以上判断できない。
ちなみに「万葉集」では梅を詠んだ歌は桜を詠んだものの三倍あるという。しかし平安時代になり割合が逆転し、「古今集」では桜を詠んだ歌が梅を詠んだものの倍になる。梅の花は天神信仰のシンボルだから、もともとの日本は天神系・国津神系の思想が主流だったことがわかる。平安京は唐の影響が大きい建築で「唐=カラ=CR」だから、桓武天皇は天神信仰・国津神を排斥する立場だったのは明白。
付記すると、青森県東北町にある「日本中央の碑」の伝説では、「日の本」とは蝦夷地の呼称だったという。真偽はともかく蝦夷つまり古層民族が太陽信仰を持っていたのは事実だろう。