この国はサタンの居城

聖書を使ってユダヤ教とキリスト教を操り、「スメラ=SMR」として須弥山信仰により仏教を操り、弓月君として三日月のイスラムを操り、その聖書の記述により「裁く=JUDGEMENT」つまり「法」を司り、そのシンボルは道の傍らの蛇。
そしてヘレニズム時代にバアルベックは太陽の都と呼ばれ、バアルを太陽神として祀り、バラモンが「バアル・アモン=天のバアル」なら、選民思想のバラモンであり牛神バアルは牛頭天王スサノヲ。スペルは「HELLENISM=地獄化運動」だから、そのバアルがギリシャつまりPOLICEを統べている。

司法・警察をコントロールできれば世の中を支配できるわけで、とんでもない国なんだなこの国って。

天神信仰=天部

天津神と国津神というのがあり、しばしば天津神と天神信仰は同一と誤解している意見を見るが、両者は全く別。天津神は「天つ=天の」神であり、アマとは海のこと。天孫降臨が天鳥船によって行われたことからも判る通り、船に乗って海の向こうからやって来るのを天から下ると表現した。
それに反して天神とは天の神であり、これはインドの「天部」に由来する。天部はインドのDEVA神群であり「天」を意味し、つまりインド=アーリアンの神を指す。その主神がシヴァであり漢訳なら大自在天で、菅原道真が菅原大自在天道真と書かれるので、つまり天神信仰イコール菅原道真への信仰と同義。
日本には明神信仰というのもあるが、この「明」は中国の明帝国と同じで、ルシファーがLucisつまり「光明」を語源に持つのと同じ意味。金星を明けの明星と呼ぶのも同じ。
少なくない人が「スサノヲは国津神」と誤解しているようだが、実際はスサノヲは天津神であり、それが単に地上に降りてきたつまり「堕天」しただけ。あくまでスサノヲは天津神であり、よって出雲神話で八俣大蛇を退治してその子孫が大国主命で~というのも間違い。大国主命はダイコク様で大黒様だから「大黒=マハーカーラ」でこれはシヴァの異名である。出雲国風土記にスサノヲの八俣大蛇退治説話は記述がないから、つまり彼らに無関係な話が記紀にねじ込まれているだけ。
日本において天津神と国津神の対立があり、天神信仰は国津神の側についた。だから出雲圏もダイコクつまりシヴァ・天神信仰の土地だったが、スサノヲは占領軍としてそこを征服したに過ぎない。
東京の神田明神は平将門を祀るが、平将門は平氏なので明神であり海の神のヱビスさまも祀られている。けれど民衆の側に立って戦った人物ゆえその側の大己貴命つまりダイコク様も合祀されている。
なお神社の境内の注連縄が蛇を意匠し、国津神が蛇を崇拝していたのは吉野裕子も指摘する。インドのシャカ族もナーガ族だったといわれる。

日本に歴史教育はないというが・・・

YouTubeで「日本には歴史教育がない。普通の国では歴史教育の授業があるのに、日本は社会科の一部として行われているだけで、普通の歴史教育の時間というのが存在しない」と見た。だからか知らんが社会科の歴史は出来事の羅列と年号の暗記に終始しているとよく言われる。
そもそも天皇家の万世一系なんて非科学的であり得ないし、戦後すぐ「そんなのは実際なかった」と東大の教授でさえ言っている(井上光貞とか)。日本列島は広いから古代に各地に小国が乱立していたはずで、征服被征服を繰り返して現在の皇室に王統が統一され、各国の系図が纏められて万世一系の系図が偽造されたと皆知ってる(キセル系図というらしい)。例えば「孝昭・孝安・孝霊」と三代続く天皇名は、全てに「孝」とつくのが天皇のネーミング法則から外れているらしく、明らかに系図偽造の際にねじ込まれたどこかの王名だという。また神武崇仁説があるが要するに神武天皇は架空の人物であり、実際は朝鮮半島からの渡来人が九州北部に伊都国を建てた。
日本の地名を見たらどこどこに小国家があったかなんとなく推測できるのもある。例えば佐賀県には三養基(みやぎ)とか吉野ヶ里とか南朝に由来するものがあるし、宮崎県は神武東征が始まったから「宮様の崎」だし、太白山のある宮城県は「宮様の城」だし、戎神社のある西宮市は「西の宮」だし、那智勝浦のある新宮市は「新しい宮」とか。また学校で「邪馬台国は卑弥呼の後に壱与という後継者が現れ~」と習うが、現在の愛媛県は伊予国でともに「いよ」で、愛媛県は「愛しい媛の県」と書く。また富士山の麓には富士宮市があるがやはり「富士の宮」である。
だから古代日本にいろんな国家が乱立してたのは疑いなく、ではそういうのは何に書いてるのかといったらよくわからん。風土記を注意深く読むとか郷土史を調べれば判るかもしれないが、一番簡単なのは他国の史料だろう。日本は文献学といっても基本的に国内史料しか見ないようだし、その時代のことが他国の史料にはどう書いてあるか全く議論もされない。せいぜい邪馬台国論争くらいか。

「文献に嘘が書いてあったらどうするんですか」という発想を持つことを学校教育で教えない愚民化政策ゆえか、我々はアジア諸国の文献史料に古代日本がどう書いてあるか全く知らされてない。海外は基本地続きの国ばかりなので比較史学が基本といい、例えばエジプトとヒッタイトが戦争をした時の史料には、両方とも「自分たちが勝った」と書いてあるので、史料や遺物を相互に比較して正確な歴史像を復元したという。
もし日本でこれをやったら一番困るのは為政者なのは当然で、島国に国民を無知なまま閉じ込めるのが基本政策だから、朝鮮や中国その他の史料と比較してどうこうなんて聞いたことがない(門外漢だから実際はやってても知らないだけかも)。だから昨今よく聞く「聖徳太子は実在しなかった」という説、これについても、聖徳太子が遣隋使を派遣して「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書簡を渡したというが、当時の中国の「隋書」には一切そんな記述はなく、日本の責任者の名前も「阿毎多利思比孤(アメタリシヒコ)」と書いてあるという。あたまに「アメ」と付いているから「アマ=海」のことで、つまり当時の日本で実権を握っていたのは海民だったと、ある書籍にあった。
ちなみに「全国アホ・バカ分布考」という本が昔あったが、あれは「日本列島は細長い国土であり、中心部である京の都・背骨である陸地部分・外郭である海岸部分」の3つに国土が分けられるとして、要するに京の都と海岸部分の人種が同一だと言いたいだけの気がする。だって結論として両者の方言が新旧イコールだ、と言ってるし。よくあるブラフ学説本だろう。

江上波夫の騎馬民族征服王朝説からも判るが、結局「自分たちは騎馬部族ということにしたい」「海民である事実を隠したい」のが天皇家。つまり古来からの日本人ではないので万世一系などあり得ない。