⑤クリシュナと堕天使

インドにおける英雄クリシュナ

クリシュナという神はインドにおいて最も人気のある神だといわれ、現代でもその名や異名を自らの名前にするインド人は多数いるといわれる。その生涯を物語化したり映画化したりすることは今でも頻繁にあるそうで、インドにおいては「英雄(ヒーロー)」というべき存在であるようだ。
KRISHNAは「黒=BLACK」という意味で、よってアーリア人が来る以前から居住していた色の黒い人々の神であった。一般的にヤーダヴァ族という部族の首長であった実在の人物が神格化したものだとされる。別名が「ダーサ=奴隷」であることからも、土着の人々の神であったという見解で一致していて、当然ともいえるが「大蛇を退治する神話」も持っている。古代にバクティという神への献身的な愛を説いた指導者だった人物がやがて神と同一視されるようになった、ともいわれる。
有名な「マハーバーラタ」でバガヴァット・ギーターをアルジュナ王子に説くクリシュナの姿はよく知られており、キリスト教の世界でも有名なようである。インド神話におけるクリシュナは「美男子で女性の憧れで強くて聡明で愛に溢れた」神であり、文字通り英雄(ヒーロー)的な神だといえる。

クリシュナとその影響

クリシュナは太陽神であり、ヴィシュヌの化身の一人である。ヴィシュヌはその化身としてラーマと特にクリシュナを取り込んだことによりその存在が現在のように巨大になったといわれ、「ハリハラ」という言葉がありハリ=ヴィシュヌ、ハラ=シヴァであるが、ハリ=クリシュナでもある。つまりヴィシュヌは土着系の二大神を取り込んで巨大な存在になり、尚且つ太陽神であるから、土着系の人々=太陽信仰であるといえる。
ちなみに辻直四郎は「ヴェーダに書かれているハリ・ユーピヤーがインダス遺跡のハラッパーではないか」と述べたそうだが、ハリとハラは全く異なるのになぜこのようなことを言うのか不思議である。
相当昔から言われていることらしいが、「KRISHNA」という語は「CHRIST」の語源ではないか、という説がある。理由としてはクリシュナの生涯がダビデの生涯と(ストーリー上)似ていること、前者は牛飼い後者は羊飼い、それとバガヴァットを説くことなどで、もちろん「クリシュナ」と「クライスト」の発音が似ていることなどもある。イエスの教えとクリシュナのバクティの詳細な比較については私は知らない。
クリシュナとダビデの生涯が似ていることについては、イスラエルからインドの方向つまりダビデの神話がクリシュナの神話に伝播したのだろうというのが定説らしく、インド人でさえそう唱えるそうである。しかし時代などを考慮してもインドからイスラエルに伝播したと考えるのが自然であり、なぜ逆の考え方が定説なのかといえば、要するに聖書の存在には誰も逆らえないということだろう。もっといえばユダヤ人の最大の英雄が実際には他文化の影響による「創作」であったとしたら、もはやイエスの存在そのものに関わる。メシア思想というのは「ダビデの再来を待ち望む」というのが基本であり、その人物がそもそも架空なのであれば、根底から成り立たないからだ。

クリシュナとクル族

クリシュナが「マハーバーラタ」においてバガヴァットを説くのは有名であるが、以前の文章で述べたように、クリシュナとクル族は同じ側の存在ではない。クリシュナは明確に太陽神であり、クル族は月信仰の代表である。ではなぜマハーバーラタに彼が登場するのかだが、例えばそれが書かれた当時にあまりに偉大な存在であったためその威光を欲して登場させたとか、それを書いた当事者が自らを逆の側の存在だと偽るために登場させたとか、いろいろ考えられるがよくわからない。クル族は月信仰側の存在であるが、アーリア人だったのか土着系の人々だったのかもはっきり判断し難い。
聖書における最初の人であるアダムは「土」という意味だが、土の色は何色なのか。KRISHNAは「黒」という意味だが、以前の文章で述べたようにインドラとシヴァは茶色である。第二次大戦前のドイツにあったオカルト団体のうち有力なものに神智学協会というのがあったが、彼らの主張の一つに「旧約聖書におけるアブラムがアブラハムと改名した理由は『ABRAHAM=A_BRAHMA』であり、つまり反バラモンということである」というのがあった。ナチズムは盛んにアーリア人という言葉を喧伝したが、バラモン教というのは「アーリア人至上主義」であり、ナチズム同様「自分たちだけが人間だ」という選民思想的なものだとの説がある。ヘブライ人は反バラモンであるとの理屈により、ユダヤ人はアーリア人の敵なのだという主張の論拠の一つになったのが、このオカルト団体の主張であった。言うまでもなくイランという国名はアーリアンという語に由来する。
本来土の色は黒いはずであるが、茶色であると偽りの認識を人々に浸透させている者たちがいるのだろうか。「クル」と「黒」は発音上は似ており、日本に漢字が渡来したのは仏教と一緒にである(はずだ)から、クル族が自らを「黒い者」と名乗って(偽って?)いたとしたら、日本でもそれに関連するものには黒という漢字が付くかもしれない。
カフカズ地方のグルジアという国はキリスト教国であるにもかかわらず、その国旗に「三日月のマーク」をずっと使っていた。またその西側には黒海がある。グルジアの語源はともかく、昔西域に「弓月城」という国があってクルジア(クルジャ)と呼ばれており、弓月=三日月である。弓月君が秦氏と関連があるのは非常に有名である。また以前の文章で述べたように、インドの九耀のシャニは土星だが、土星はイスラエルの守護星とかイスラエルの第二の太陽とか呼ばれるそうである。土=アダムなので、熱烈なクリシュナ崇拝者のシャニが土星なら、やはり土の色は黒くないとおかしい。
クル族がアーリア人なのか土着系の人々なのかは釈然としないが、「KR」と「CR」は明確に違うはずである。自らの存在を偽るために逆の主張をすることはいつの時代でもある。

堕天した者たち

「インドに来たのか、インドから出て行ったのか」というのは非常に難しい問題であるが、確かに定説通り「インドに来た」と考えないと説明出来ないこともあるし、逆に「インドから出て行った」と考えないと説明出来ないこともある。もし後者の通り「インドが文明のスタートでそこから皆出て行った」と考えるならば、エデンがインドにあったということになる。これを前提として考えてみたい。
もしエデンがインドにあったのなら、そこには当然土着の人々しかいなかったはずであり、つまり色の黒い人々がそこで暮らしていた。ゆえにアダム=土の色は黒い。九耀のシャニの如くクリシュナを崇拝する者が大勢おり、クリシュナがヤーダヴァ族の長であり指導者であったわけだから、ヤーダヴァ族がエデンを統治する一族であった。しかしそこから離れる者が出る。神の最も傍にいた者(たち)がそこを離れ、違う場所へ行く。それはすぐ北西の土地だったかもしれないが、つまり「堕天」である。堕天使は悪魔となり神の障碍になる。「ヤーダヴァ」という言葉は「YADAVA」と書くが、もしこれを「YAHDAWAH」と書き、堕天した者たちの象徴である例えば「鳩=DOVE」がそこから抜ければどうなるか。母音は不要なので「YHDWH」から「DV」を抜くと「YHWH」が残る。
「赤い鳩」というのが何を意味するのか私は知らないが、もしこれが事実なら、エデンの指導者たちだったグループから離脱して堕天したのがサタンだろう。

[補足]

アダム=土の色は黒いが、エデンで暮らしていたのは色の黒い人々だけではなかったかもしれない。正確にはいろいろな色の人々が暮らしていて、指導者たちのグループにもいろいろな色の人たちがいた。指導者たちの長であったクリシュナはもちろん色が黒かったが、つまり簡単に言えば「歴史時代とは逆」に、色の黒い者が色の白い者(たち)を指導していた。そこを離脱した色の白い者たちが色の黒い者たちに戦いを起こした、ということかもしれない。
「カースト」という語はポルトガル語の「カスタ」が語源であり、カースト制度はインドで元々「ヴァルナ=色」と呼ばれていた。「バラモンは白く、クシャトリヤは赤く、ヴァイシャは黄色く、シュードラは黒い」という言葉通り、元々肌の色つまり人種でその階層が決まっていた、というのが定説である。かつて「黄禍論」というのがあったが、ヴァイシャは黄色くまたユダヤ人も黄色いし、言うまでもなく日本人も黄色い。白と茶色を混ぜると黄色になるのは示唆的である。現在は白色人種・黄色人種・黒色人種はいても赤色人種というのはいないので、一体どこへ行ってしまったのだろうか。
歴史時代においては色が白いほど偉く色が黒いほど卑しいというのが世界のスタンダードだが、かつて自分たちを指導していた「黒」を意味する者への嫉妬とルサンチマンから、色の白い者たちは色の黒い者たちに復讐すべく歴史を動かし、同時に自らを逆の立場の存在だと偽ってきたのかもしれない。現在本当に黒い者たちは人類の範疇外に置かれ、それを打開しようにもマトリックスが頑丈すぎて人々はそれを壊そうという発想すら無い。「黒」という色にマイナスのイメージを普遍的に植え付けた方法は、万能足り得ない科学の力によるものではないだろう。

[2008/10/11]

④ガネーシャとイエス

インドにおける月神ガネーシャ

インドにおいてシュードラというカーストがあり「奴隷」と訳すことは高校でも習うしよく知られている。前回述べたように、奴隷である以上ご主人様がおり、それはアーリア人であるが、「シュードラは黒い」と言われまた世界のスタンダードとして色の黒い民族=社会の下層であるので、シュードラが非アーリアンであり土着系である可能性は極めて高いと言える。
インドの神々はそれぞれ多くの化身(アヴァターラ)を持ち各々の神が様々な要素を吸収しているが、シュードラ=奴隷カーストの主神はガネーシャであると言ってしまうことに特に異論は無いと思う。ガネーシャは有名な神で、頭が象で体が太鼓腹の人間の姿をした神である。現在では「知恵と利益の神」「学問と商売の神」としてとても人気があるが、反面「崇拝を怠ると恐ろしい罰を与える神」という側面も持っている。「ガネーシャ」「ガナパティ」共に同じで、「群衆の主」という意味である。
なぜ頭が象になったか、という理由としては幾つかのエピソードがあるが、その中で興味深いと思われるのは、九耀(スーリヤ)のシャニに関する話である。「シャニがあまりにもクリシュナを崇拝しすぎていたため、その妻が妬み彼を邪視(=EVIL EYE)にしてしまった。そのためシヴァとパールバティーの間に産まれたばかりのガネーシャをシャニが見たら、ガネーシャの首が飛んでいってしまったので、やむなく象の首を代わりに付けた」というものである。
シャニは九耀では「土星」であり、シャニ=SUNNYであり、クリシュナ崇拝者で土星=土=アダムということで、「クリシュナ=太陽=土=アダム」と結びつく。またガネーシャの首が象になった原因であるので、ガネーシャが恨みを抱く対象でもある。ガネーシャは仏教の天部の一人でありゆえにDEVAであるが、「聖天」「歓喜天」と呼ばれる。DEVAである以上月信仰側の神であるが、それが九耀のシャニと反目する関係にある。ここでも太陽信仰と月信仰の対立を見ることが出来る。
インドにおけるガネーシャの別名は「魔人の主」で、前回述べたように「シュードラ=ヒドラ」であるから、ヒドラの主である。ガネーシャには「十字路の神」という側面もあり、悪魔崇拝のサバトとの関連もあるので、やはり魔人の主という別名には正当性がある。「十字路=CROSS」であり、前回述べた幾つかの言葉と同様「CR」が付く。
付け加えると、サンスクリットで蛇のことを「NAGA」というが、NAGAという語には「象」という意味もある。

日本における賤民とガネーシャ

密教において象頭の二人の人間が抱き合っている像があるが、あれが歓喜天であり、セクシャリズム・性的祭祀を教義とするいわば秘教的なセクトで用いられると言われる。日本でガネーシャを祀った場所、つまり聖天が祀られている場所は少なくないようであり、例えば奈良県の生駒山とか、浅草の待乳山などがそうである。インドにおいても奴隷カーストの神であったが、日本においても賤民の信仰の対象になっているケースは少なくないと思われる。
ガネーシャの異名である「ガナパティ」を漢字で書くと「我那鉢底」であり「ガナハチ」と読む。いわゆる「八の民」の「ハチ」の語源は定かではなく、八ヶ岳の八ではないかとか托鉢僧の持つ御鉢の鉢ではないかとか、また「我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った山中鹿之助の蜂屋衆もハチがつくとかいろいろな説があるが、どれもいわゆる賤民と関係があるといって差し支えない。仏教国の日本でもガネーシャつまり聖天は当然下層の民衆の信仰の対象だったはずであるから、「ガナハチ」から「ハチ=八」になった可能性もあるだろう。
インド神話の一つによれば、「ガネーシャはパールバティーが自分の垢から作った」ということになっている。この「あか」という言葉・発音であるが、まず「あか=赤」でありCRIMSONである。また仏教に「あか棚」というのがあり水を入れるそうだが、日本の漁民の間で古くから(海)水のことを「あか」と呼んでいたという説があるので、「あか=AQUA」でもある。つまり赤い色を崇拝し尚且つ海や水と関連のあった人々がいたなら、同じ発音である「垢」でできたガネーシャと関連があることは不思議ではない。発音が同じ言葉は何らかの関連があるという考え方は基本であるからだ。もしそのような人々がいたとすれば、平氏などはかなり関連性が疑われて然るべきだろう。平氏のポジションや存在というのも大変複雑で難しいが、彼らは海民と繋がりがあり赤旗をシンボルにし、また「驕る平家は久しからず」という発想はバラモン教と大変近いと思われる。
ちなみに「朝」つまり「MORNING」のことを「暁=あかつき」というが、これが「赤月」ならば文字通り「RED MOON」であり、イランの古代語でアサ(アシャ)は火・法・正義の意味である。「MOONING=月であること」が「MORNING」になったのなら大変面白い。

油を注がれる者

インドにおいて、ガネーシャは祀られる際に「ギー」という油を注がれることが知られている。ガネーシャの像の頭から油をかけて祀る風習は現在でも残っていて、また歓喜天にも油を注ぐ教義が存在する。大変興味深いことだが、ヘブライ語の「メシア」も「油を注がれる者」という意味である。ガネーシャはインドの(人間だと見なされている上から4つのカーストの中での)最下層カーストの主神、ヘブライ人は要するにユダヤ人であるがイエスを輩出した民族である。
日猶同祖論の是非はこの際置いておいて、基本的に世の中がヒエラルキーだとすると、日本においても最下層は賤民で最も数が多いことになり、彼らの信仰の対象としてガネーシャが存在したことは否定出来まい。部落解放同盟という団体があるが、この団体のシンボルは「荊冠旗」であり、イエスが処刑される際に被せられた物がシンボルになっている。彼らがなぜこのマークを採用しているのかはともかく、仮に彼らが何らかの形でユダヤ人・ヘブライ人と関係があり、尚且つガネーシャを崇拝する思想を持っているのなら、共に「油を注がれる」という要素でイエスとガネーシャは結び付く。
キリスト教のシンボルは十字架=CROSSだが、この単語のスペルにもCRが付き、もちろん十字架というオブジェのルーツを考えれば一概にクル族やガネーシャと関連付けるのは難しいかもしれないが、結局「賤しい人々の中から現れた者が世を救う」という発想はここでも肯定され得るわけである。

[2008/09/23]

③インドに来たのか、インドから出て行ったのか

インドラとシヴァ

元々アーリア人つまり印欧語族はユーラシア大陸の中央付近にいて、そこから西へ向かった者がヨーロッパ人となり、南へ向かった者がイラン人やインド人になった、というのが定説である。「インド=ヨーロッパ語族」であるから、インド人とヨーロッパ人が同じ語族だということであり、よく知られている。印欧語族が移動を始めた時期にヒッタイトが消滅し、彼らが印欧語族系であったため、なんらかの関係があるのではないかという説があるが、明確にはなっていないようである。
サンスクリットで「神」はDEVAで、ラテン語ではDEUSであるが、これは印欧祖語の語根「DE」からきている。「DE=天」であり、よって神は天に居るという考えである。南下したアーリア人にとって、最初の主神はインドラだったが、彼はやがて「侮蔑され、呪われ、唾を吐きかけられる」ような存在へと降下し、その存在は非常に矮小なものになってしまう。その後アーリア人の主神として台頭するのがシヴァで、現在はインドの二大神の一人である。
インドラとシヴァは似た特徴を少なからず持っており、暴風雨神の性格を持ち、金剛杵を持ち、髪も肌も茶褐色であるなど、片方がもう片方へ進化したような感がある。有名なインダス遺跡には原初のシヴァ崇拝の痕跡があるといわれるが、インダス文明が誰の手によるものか判明しない以上、これをそうだと断定はし難い。アフリカ大陸の東にあるマダガスカル島は言語区分でインドと同じであるが、古代のシヴァ崇拝の痕跡が残っている。つまりインドからアフリカ東岸まで航海した古代の人々がいたわけだが、こういったことがどの程度の範囲で行われていたかはわからない。
インドラ崇拝とシヴァ崇拝が同居していた時期があったかどうかは私は知らない。インドラ=帝釈天であり、シヴァ=自在天・大黒天であるが、「帝釈天」は読んで字の如く「釈の帝たる天」であり、釈は釈迦の一字で、釈放と解放は同義である。日本の出雲におけるスサノヲとオオクニヌシが「スサノヲ→オオクニヌシ」の方向であるから、オオクニヌシが大黒天であり「インドラ→シヴァ」の方向であれば、インドラ=スサノヲといえるかもしれない。

不思議と似ているもの

アーリア人が月信仰であったことは否定のしようが無いと思われるのでそれを前提とすると、「DEVA=月神」ということになる。であれば共通のルーツを持つヨーロッパ人の神も月神ということになり、「DEUS=月神」となってしまう。英語の「悪魔」つまり「DEVIL」の語源はラテン語の「DIABOLO(S)」だが、語幹の部分でサンスクリットの「DEVA」と対応している。もしアーリア人の神が月神だったら、それが悪魔の語源になっても不思議ではない。だがもしそうであれば、ラテン語のDEUSも悪魔になり、そこから派生した「神」を表す語は、全て悪魔を意味することになってしまう(ちなみにサンスクリットで「牛」は「GO」である)。ジプシーは元々インドにいた印欧語族だと言われているが、彼らの言葉で「神」は「DEVEL」である。つまりDEVAとDEVILの中間の段階である。
シヴァのシンボルの一つに「三叉矛」があるが、これはヨーロッパの悪魔が必ず持っているシンボルである。月神であるシヴァのシンボルを悪魔が携えているのは何故か。三叉矛は世界各地の神話によく登場し、「神が水の中の龍を三叉矛で刺し殺した」というモチーフはあちこちにある。インドにおけるその神話を見ると、結局「龍=牛」になっているが、これが極端な話バール崇拝とどう繋がるのかはわからない。「バラモン=バール・アモン(=天のバール)」だとしたら大変面白いが、これを論じた人を私は知らない。インダス文明における原初のシヴァ崇拝の痕跡を見ると「角の付いた仮面を被ったシャーマン」の図像があるそうだが、これらが全て繋がり「龍≒牛≒邪悪の象徴≒バール」であり世界の悪が一つの根源に収束するなら一大転換だろう。

S→Hか、H→Sか

インドにおいてアーリア人は上層、土着の人々は下層であるが、当然バラモンはアーリアンである。アウトカーストを除く4つのカーストの最下層はシュードラで、「奴隷」と訳される。奴隷であるから当然御主人様がいるわけで、それはもちろん最上位のカーストである。「バラモンは白く、クシャトリヤは赤く、ヴァイシャは黄色く、シュードラは黒い」という言葉があるが、バラモン教はバラモンの宗教、仏教の開祖のゴータマはクシャトリヤの出身であった。アウトカーストはチャンダーラと呼ばれるが、その下に更にプツクサという最下層があるともいわれる。
インドにアーリア人が南下してきてインドを征服し、カーストを成立させると、バラモン教が存在する状態で仏教が新しく生まれ、両者は対立する。DEVAとASURAは元々仲が良かったが、結局仲違いする。ASURAはどこかへ行ってしまう。ゾロアスター教のアフラマズダの「アフラ」がアスラと同じであることは有名だが、今現在はアフラがアスラになった、つまりアーリア人が南下してきてイランを通りインドへ向かう際に、アフラ→アスラに転訛した、ということになっている。つまり「H→S」という変化をしたことになっている。
ここで少し考えたいが、「H→S」つまりアーリア人はインドに「来た」のか、それとも「S→H」つまりアーリア人はインドから「出て行った」のか。これを考えると多分に象徴的である。

もし「H→S」つまり現在の定説通りなら、
・火から死になる。つまり拝火的である。
・HE→SHEであるから、アダムからエヴァが産まれたという聖書の記述と一致する。
・HITO→SITOであるから、人が神に近づこうという発想に近い。

もし「S→H」つまりインドから皆出て行ったのなら、
・死から火になる。つまり手塚治虫の「火の鳥」のモチーフと同じである。
・SHE→HEであるから、女から男が生まれるという自然の摂理通りである。
・SITO→HITOであるから、元々人類は神の傍に居た存在だといえる。

海はSEAで太陽は日つまりHEだから、海から太陽が昇るというのは、S→Hであり、母なる海の母体から生まれた太陽が男だということになる。海でなく大地が女でも同じで、大地母神の胎内から男が生まれてまた胎内に戻る。太陽神は男神に決まっているから、大地は女=SHEで、死ねば大地に埋める。アダムとは「土」という意味である。日本の太陽神はアマテラスであるが、「アマテラスは元々男神だった」という説があり、もしそうなら日本においても古代の太陽神は男だったことになる。つまり古層とその上から被さった新しい層がどこにでもあって、古層はどこでも共通していることになる。
インドに話を戻すと、高位カーストであるアーリア人がDEVAだから、彼らが御主人様となり奴隷を引き連れる。奴隷=SYUDRAであるがSはHに変わるのでシュードラはHYUDRAであり、ヒュドラつまりヒドラである。そうするとシュードラというカーストは魔物の群れということになり、その主神であるガネーシャが魔物の主であるのは当然である。
余談であるが、ガネーシャはシヴァの息子であり、シヴァの別名は「パシュパティ=獣の主」である。「獣」という漢字は「ジュウ」とも読め、「JEW」がユダヤ人のことであるのは言うまでもない。

スタートかゴールか

では結局インドに皆は「来た」のか、それとも皆は「出て行った」のかであるが、観念論的ではあるが、もしインドに来たつまりインドがゴールであれば、「文明の最終到達点はインドのカーストのような差別社会」ということになり、逆にインドから出て行ったのであれば「文明のスタートはインドのカーストのような差別社会で、そこから平等な社会へと進化する」と考えることが出来る。
御主人様に引き連れられたヒドラたちが外へ出て行って街を荒らし回ったのか、それとも暴れ回っていたヒドラたちがインドへ追い込まれたのか。前回「シヴァのシンボルは現在世界でばらばらになっている」と書いたが、来たのか出て行ったのか、これは大変難しい。どちらの可能性を考えても正当性が存在する以上、定説を覆すことは困難だろうし、意見は二分するだろう。少なくとも「アダムからエヴァが産まれた」という聖書の記述に逆らうことは誰にも出来ない。
全ての文献なり物証なりが本当なのであれば答えは一方通行のはずだが、そうならないのは嘘が多分に含まれているからだろう。「嘘・偽=false」であり、そのまま読めばファールスである。

[2008/09/10]

②インドの太陽信仰と月信仰

インドにおける太陽信仰と月信仰の対立

インドにおいて太陽信仰と月信仰の対立が見られるのは、まず古代の十六大国時代である。この時代に「各国が太陽信仰側と月信仰側に分かれて争っていた」ということが言われているが、どこまで詳細が判明しているかはわからない。
アーリア人は元々ユーラシア大陸の中央部に居住していて、南下した者がイラン・アーリア人とインド・アーリア人になったというのが定説である。「アーリア」というのは「高貴な」という意味で、ナチズムがこの言葉を盛んに使用したため、現在では印欧語族という呼称が採られることが多い。イランという国名はアーリアンという言葉に由来するというのはよく知られている。アーリア人がインドに来た後に十六大国時代になり、その後結局アーリア人がインドを支配しているから、「アーリア人の側の信仰」がインドの支配原理になったわけである。

ではアーリア人は太陽と月どちらの側であったのか。インドの三大神として、ヴィシュヌ・シヴァ・ブラフマーの名がよく挙げられる。しかし実際にはブラフマーはその名の通りただのバラモンの神で、現在の存在意義を考えても、ヴィシュヌとシヴァが二大神と言ってしまってよいだろう。ヴィシュヌを描いた絵を見ると肌の色が白く、シヴァを描いた絵は肌の色が黒いが、ではどちらがどちらの、つまりどちらがアーリアンの神でどちらが土着の人々の神だったのか。
ヴィシュヌは太陽神であり、その化身としてクリシュナやラーマなど、とても人気の高い神を取り込んでいる。ブッダ(というより仏教の開祖のゴータマ)も化身の一人だが、ヴィシュヌ教の中での存在は否定的なものらしい。クリシュナの別名がダーサ(奴隷)で、クリシュナもラーマも当然土着の神である以上、本来ヴィシュヌはアーリアンの神とは呼べない。ではシヴァであるが、別名がソーマナータ=月の主であるから、当然月神である。仏教に「天部」というのがあり、「天」=DEVAで、ヒンドゥーの神が仏教に取り入れられて「~天」という名になったものである。この中にはインドの主要神はほぼ取り入れられているが、クリシュナとヴィシュヌは入っていない。この両者は太陽神であるから、それが取り入れられないのは仏教が(元々)月信仰側の思想だからである。もっと言えば、DEVAは「神」と訳されるが正確には「アーリア人にとっての神」であり、普遍的な神ではない。よって、ヴィシュヌと特にクリシュナはDEVAではない。彼らは土着系の神だからである。結局アーリア人が月信仰であり土着の人々が太陽信仰であるため、アーリアンによる思想であるバラモン教や仏教は月信仰で、それ故クリシュナやヴィシュヌのような太陽神は除外された、といえる。

ではシヴァがアーリア人の神だと断定してよいかというと、それは即断しがたい。基本的にシヴァにはアーリアンの要素と土着系の要素が混在しており、確かに月神ではあるが、どちらの側だと明確には判断しがたい。シヴァにはいろいろなシンボルが付随している。「月(三日月)・牛(角)・蛇・三叉矛・第三の目」である。よく考えるとこれらは現在世界中でばらばらになっている要素であって、それらが全て集合している。例えばこれらのシンボルの各々を持っている各部族の部族集合体の神だったのか、それはよくわからない。現在これらの要素が世界でばらばらになっているのなら、インドから皆出て行ったと考えることも出来るが、その確証はどこにも無い。肌の色はこの際重要ではない。ヴィシュヌは白くシヴァは黒いが、シヴァは体に火葬場の灰を塗っているため、塗らなかったら白いのかもしれない。アーリア人がインドを支配している以上、善なる存在が肌が白く悪なる存在が肌が黒くないと困るのは当然であろう。アーリア人の肌は白いからだ。
普通に考えるなら、元々インドには土着の人々しかいなかったわけで、そこにアーリア人が南下してやって来る。月信仰を持ったアーリア人が太陽信仰を持った土着の人々と争いになる。土着の人々の中にはアーリア人の側に付く者もいただろう。そして太陽信仰と月信仰の側に分かれて争った結果、月信仰の側が勝利し、太陽信仰の人々は最下層に落とされる。ガンジーがインドのアウトカーストのことを「ハリジャン」と呼び、「ハリジャン=神の子」と訳されるが、これは正確ではない。「ハリ」はヴィシュヌ・クリシュナの意味であって、正確には「クリシュナの子」という意味である。よって単純に考えればアウトカーストというのは古代の太陽信仰の人々の末裔なのかもしれないが、それを証明する手段は今のところ無い。

クル族について

よく本屋へ行くと、古代の超文明とかに関する本が売っているが、不思議なほどインド特にクル族に言及しているケースが多いように思う。十六大国時代にクルという国があり、「クル」は「kuru」である。よく知られている「マハーバーラタ」の中心となる部族である。マハーバーラタにクリシュナが登場し、バガヴァットを説くことは非常に有名で、キリスト教の世界でもクリシュナやバガヴァットの存在はよく知られているようである。しかし多くの人が誤解しているが、クル族とクリシュナは基本的には関係が無い。関係が無いというのは正確ではなく、「クリシュナ=クル族側の神」とは言えない、ということである。
クルはkuruと書くが、今現在は「cr」と書くべきであろう。英単語のcrescent、crazy、crimson、crashなどは、全て彼らに由来する。よって月信仰側の存在であり、クリシュナと同じ側ではありえない。シヴァの職能は破壊=crashで、ブラフマーの職能は創造=create(creation)であるが、「クルの灰」と書いて破壊であるのは面白い。
要するにシヴァがどちらの種族系統の神か判断しがたいのと同じで、クル族もどちらの系統かは判断しがたい。現在英語で「キリスト」と書く際にはchristと書き、hの字が入っているが、これがなんらかの作為や恣意によるものかは各自で考えればよいだろう。

[2008/09/08]

①三重構造モデル

二重構造モデルの欠点

「二重構造モデル」という学説がある。これは故・埴原和郎氏が提唱した説で、主に形質人類学的な視点から、日本人のルーツについて考察したものである。彼は日本列島の古人骨の形質を調べ、次のようにまとめた。『古代の日本に、まず東南アジアから(海路で?)中国へ北上してきた南方系モンゴロイドが、朝鮮半島を経由して日本に渡来し「第一層」となり、その後北方系モンゴロイドが朝鮮半島を経由して日本に渡来し「第二層」になった。』…というものである。この説は非常に有名なので検索すればいろいろ出てくるかと思う。
しかし私は、この説は中途半端だと考える。理由は、
①元々日本に住んでいた人々のことを考えていない=「第一層」渡来以前に日本列島に住んでいた人々のことを考慮していない
②神話学や神社神道のことなどを考慮していない
③何らかの作為的な意図が感じられる気がする
といったことである。渡来系の人間たちが日本のマジョリティであるというのは正しいと思うが、それが100%だというのは明らかにおかしいと思う。よって今回、自分なりにこの考え方を補足してみたい。

二重ならぬ三重構造モデル

私は埴原氏の二重構造モデルを補足して考えたが、二重構造ではなく三重構造モデルという方が正確だと思う。
まず日本には、渡来系民族以前に「原日本人」たる原住民がいたはずであり、その人々はアラハバキを祀っていたと思われる。手塚治虫の「火の鳥」でも描かれている通り、元々日本には太陽崇拝・大地母神崇拝のアラハバキを祀る人たちが日本列島全土に住んでいたと思われ、そこではアラハバキを太陽神として崇める風習があり、その都は出雲にあったはずである。もちろん他の原住民もいただろうが、それが「土蜘蛛」だったりする可能性もある。私はこれが「第一層」だったと思う。
そこに、朝鮮を経由して、「第二層」が入ってくる。私はこれが秦氏(を中心とする渡来人)だったと思う。秦氏の詳細に関しては別の機会に譲りたいと思うが、この第二層の秦氏が、新羅仏教を持って九州の宇佐つまり国東半島に渡来してきたはずである。そして宇佐を拠点にして、いわゆる「秦王国」を作る。むしろ「前期秦王国」という感じだろうか。後述するが、秦王国は後に移動するからである。
秦氏は宇佐を拠点にして、南北に伸張していく。まず南だが、九州はもちろんのこと、さらに南の沖縄まで勢力を拡大したと思う。当然この過程では、原日本人であるアラハバキ崇拝の人たちと争いになる。アラハバキ崇拝の人たちは主に北方へ逃れていく。秦氏は沖縄まで征服し、原住民の人たちを征服して奴隷にしたのが、現在まで残る「家人(ヤンチュウ)」だろう。
一方、北へ伸張した秦氏は、まずアラハバキ崇拝の人々の都である出雲を陥落させる。それが、「スサノヲのヤマタノオロチ退治」の原型である。スサノヲは朝鮮と関連があり、渡来人である秦氏の主神であるといって差し支えないからだ。彼らが出雲の原日本人を陥落させた事実が「蛇を退治する神話」として記録されたのであり、出雲国風土記にこの話が載っていないのは、出雲人にとっては不名誉な話だからだろう。出雲を征服すると秦氏は拠点をそちらに移す。そうすると、現在の島根県・鳥取県~広島県・岡山県の一帯の広大な地域が秦氏の拠点になる。それがいわゆる「秦王国」、もっと言えば「後期秦王国」である。
秦氏はさらに勢力を広げていき、やがてアラハバキ崇拝の人々は東北まで逃げ、蝦夷になったと思う。「出雲でズーズー弁が話されている」とよく言われ、松本清張の「砂の器」はそれをモチーフにした作品だが、出雲人が北日本へ移動したからだろう。蝦夷を「毛人」と書くが、「家人」「毛人」ともに「けにん」と読め、同じ人たちだと思われる。意味は「外人」「下人」だろうか。この人たちはアラハバキ崇拝を持っているから、北方に逃げる際、アラハバキ神社を作りながら逃げて行く。秦氏はそれを追いかけて征服していき、征服したアラハバキ神社に自分達の祭神であるスサノヲを祀って行く。そのため東日本ではアラハバキとスサノヲが合祀されているケースが多いのだと思われる。共に「客人神」の性質を持っている。
そして日本を征服した「秦氏を中心とする渡来人たち」は日本の支配層になるが、そこに「第三層」の北方系モンゴロイドが渡来してくる。これが天孫族≒天皇家であり、彼らが渡来した際に秦氏から天孫族に権力の委譲が起こる。それが「国譲り」だろう。
埴原氏の説では、彼らは日本列島の真ん中辺りつまり畿内地方に渡来し、その結果その前の層が南北に分断されたとなっているが、彼はそれを「北端と南端の骨の形質が近似している」ことや「アイヌと沖縄人が外見的に近似している」ことなどを理由に挙げている。私がこの説を補足するというのは、要するに第一層(原日本人)が第二層(秦氏等の渡来人)に征服され南北に追いやられ、その後に第三層(天孫族)が渡来したと考えたいということである。よって南北に追いやられた第一層がアイヌと沖縄人(毛人と家人)であり、彼らが似ているのは当然であろう。

補足

「出雲に鉄器文化があった」と言うが、これはアラハバキ崇拝の人々のものではなく、その後ここを拠点にした秦氏のものだっただろう。「荒神谷」という場所、つまりスサノヲにゆかりのある場所から鉄剣が見つかっていることからもそれは明らかである。
あまり知られていないが、国東半島のある郷土館に「紀元前三世紀の鉄剣」が保存展示されているといわれ、これはC14で測定した結果得られた年代だそうだが、九州大学の研究班が当地の産鉄民か何かに案内されて発見したという話である。どこまで信憑性があるのかはわからないが、事実であれば大変興味深い。国東半島には「東光寺」があり、東光教は被差別民と関連がある。また国東の古い地名には、仏教以外のインドに関連する名称も存在するようである。
有名な話に「他の場所で神無月である時期に出雲だけは神有月である」というのがあるが、出雲に神が集まっていた以上そこが都であったわけで、それが何時なのかは、原日本人時代なのか秦氏時代なのかということである。宇佐八幡宮も古来非常な権力を持っていたし、要するに都の変遷というのはあったはずである。
また国譲りといえばサルタヒコだが、秦氏がそれだと考えると、秦氏はHATAだから、HとSは転訛するのでSATAになり、それに「佐田」大神という漢字を当て、そこから「猿田」彦と漢字の当て字が変わっていったと考えられる。「猿=顔の赤い動物」であるが、猿田彦の外観はいわゆる「天狗」によく似ている。手塚治虫の「火の鳥」にも同様のモチーフが出てくる。天孫族≒天皇家の道案内をしたのならそのファミリーの一員に入っていても不思議ではない。
スサノヲは国津神に分類されるが、もし日本民族が三つの層から成るならば、第一層がアラハバキ・第二層が国津神・第三層が天津神であって、国津神といっても日本古来からの土着の神とは必ずしもいえないだろう。スサノヲが新羅や朝鮮と関連があることは有名だし、原日本人の中にも渡来人の側についた者はいたはずだからである。
アラハバキ崇拝の人々以外にも日本にはいろいろな種類の原住民がいただろうし、その中には秦氏の側についた者もいただろう。そういう連中の子孫がいわゆる「サンカ」になったりしたのではないかとも考えられる。有名な三角寛の報告によると、「サンカの集団は神武東征の際に彼らの配下についた」とか「天孫族は鉄器を所有していたので、まつろわぬ民たちは皆負けてしまった」とかいう伝承も残っているらしい。そういった類の本によると「サンカは自在鉤を持ち、ウメガイという両刀の短刀を所持している」とのことだが、福岡市の大宰府天満宮は「梅が枝餅」が名物で、梅干の種を割ると天神様が入っていて、参道には無数の牛の像がある。そこで祀られているのは大自在天であるが、自在天はシヴァのことである。彼らが短刀を所持しているのは製鉄との関連によるものだという。また国譲りのオオクニヌシは大黒天と同じで、大黒天もシヴァである。
スサノヲとシヴァが対応するという説はよく聞かれるが、スサノヲは言うまでもなく「高天原ファミリーにおける厄介者」であり「高天原ファミリー一の荒くれ者」であるが、もしそんな奴がいたらガードマンにするのが最適だろう。伊勢神宮の宮司の苗字にも「荒」がつき、他にもそういう者は要所要所に存在するようである。
原日本人つまりアラハバキ崇拝の人たちは「アラハバキ=太陽神」として「太陽=男」だと見なしていたと思うが、秦氏・天皇家は太陽を「アマテラス=女神」と見なす。これが「アマテラスは元々男神だった」ということだと思われる。つまり日本においても古代には太陽神は元々男神だったということだ。
日本の古語で「蛇」は「ハハ・カカ・カガ」であり、つまり「女=蛇」であった。「アラハバキ」には幾つかの漢字の当て方があるが、もし「荒蛇斬」であるならば、「荒ぶる蛇を斬った」神であり、「荒」が付くため「荒神」と混同する者がいるが、荒ぶっていたのは蛇でそれを斬ったわけだから、荒神つまりスサノヲとは対立する立場のはずである。

日猶同祖論との関係

私は日猶同祖論に肯定的な考えを持っている。スサノヲはバールと対応・関連すると思うし、天皇家や秦氏もイスラエル12支族との関連があると思っている。これに関しては星の数ほどの人間が相当昔から論じてきて、その中には学問的な権威が伴っている者も存在する。このようなことに正当性を感じていても公言するのを避けている人間は、正当な機関にも少なからずいるはずである。もちろん日本とイスラエルだけの関係であるはずが無く、世界各地にその要素が存在する以上局所的に考えるべきではない。
例えばバールは牛神だが、秦氏の執り行うマダラ(マタラ)祭が牛祭であり、その被る面がサルタヒコであることやスサノヲと同一視されること、またヒルコ神話とモーセの関連など、枚挙に暇が無い。しかしこれらに関しては別の機会に譲りたい。

[2007/08/22]