蒼き狼と白き牝鹿

「ジンギスカン源義経説」の真偽は知らないが、昔何かの本に「ウランバートル?にあるチンギス・ハンの像」の写真が載ってて、そのベルトのバックル部に、源義経の紋章と同じものが彫られていると書かれてた。

有名な説として例えば、源氏武士団の流鏑馬(やぶさめ)と同じく「騎乗しながら弓を射る」競技が、ユーラシア大陸東部やその周辺のタタール部族にも存在し、名前を「ヤブサメル」というらしい。そもそも源氏武士団の「騎乗して戦う」は、古代アーリア人が騎馬民族的だったというか騎乗文化の民族だったことに呼応する。

だから80年代に光栄から「蒼き狼と白き牝鹿」というゲームが発売されたが、青はスペイン語でAZULなのでアッシュールつまりアッシリア、狼はベニヤミン族。そして白は白百合ならlilyでリリス、牝鹿はナフタリ族なのでイエスの出身部族。もちろん源氏の女を「白拍子」といい、静御前や巴御前もそうなのは言うまでもない。

ロシア語の知識はないが、ロシア語で中国をキタイスキーといい「契丹」に由来する。だから契丹という国家には何かあるらしく、実際にうちの教授も「契丹な、あれは怪しいな」と言ってた。カラ=キタイだからカラと付き、唐もカラと読むし韓もカラと読む。
また真偽不明だが、新國民社の本に「日本語の漢字は仏典と一緒に渡来したが、「鈴」という字はその中に含まれておらず、契丹の文字に由来する」とあった。

現在の北海道でジンギスカン料理といえば羊の肉を焼いて食うものだが、そもそも「羊」とは?迷える羊とか羊飼いの笛とかいうし、Pastol(パストール)は牧師だ。インドでクリシュナがGopal(ゴーパール)つまり牛飼いゆえ、Krishnaが語源ともいわれるChristが羊飼いと呼ばれる。これは常識。
ちなみに鶏の唐揚げをザンギと呼ぶのはなぜか?ニワトリは夜明けを告げる鳥だから太陽の使いみたいな存在だが、それを食ってしまうことを「懺悔」って・・・。

海のトーテミズム

いわゆる海の幸には、どこどこで名物になってる物というのがいろいろある。例えば三重なら伊勢海老、北陸なら毛蟹、下関なら河豚(ふく)、阿久根ならイワシなど。

これは単純に「そこではそればっか捕れるんだな」と思ってしまうが、多分違う。だって海の中に何がいるかなんてわからない。わかるのは実際に海に潜ってその生き物を捕ってる漁師(?)本人。

つまりこれはトーテミズムで、その場所でそれが名物になってる理由は、そこの漁師がそればっか捕ってるから。本当は海の中にはいろ~んな生き物がいるのに、各地にトーテム生物がいて、漁師はその生き物ばかりわざと捕ってる。多分。

だから「伊勢=海老」「北陸=蟹」「呼子=烏賊」みたいなトーテム関係なんだろう。よってこういう「地域の名物」的な海産物が、汎世界的・汎地球的に各地で見られるなら、どこの海民がどこどこの別地域の海民とルーツ的な繋がりがあるか、を解明するための重要な手がかりになるはず。

善悪二元論=二つ巴

前々から不思議だったのは、なぜ日本には「朝鮮の利益こそ全て」みたいに考える奴が少なくないのか、ということ。左翼とかマスコミに多いだろうが、なぜ彼らは日本生まれの日本人なのに朝鮮のことを優先して考えるんだろう?と不思議だった。これについてたぶん人によって理由は異なるんだろうが、ある近い人物とのやり取りを思い出すと、彼らは自らが宗教や聖書などで「悪魔」とみなされていることを知っていてその上で開き直ってるのでは?と推測する。
俺でさえイスラエルのダン族が蛇をシンボルにしていて悪魔だろうと推測ついたし、同じ事に気づいた者は他にもいるだろう。そういう者が「自分は悪魔なのか、では人類に敵対する立場なのだ」と開き直り、だから朝鮮を公然と支持して…..という図式じゃないかと推測。
けど普通の人なら「あー遠い昔にそういうルーツがあったのか、でも何百年も経ってるんだし今の世の中では関係ない、日本人なんだから日本第一」と考える。だが少なくない日本人は「ルーツ至上主義」で先祖がどうこうとか異常~なほど気にする(ようだ)。だから前述したように「自らは悪魔なので悪の枢軸の側」という立場なのでは。

善悪二元論は世の中に善と悪があって常に争っていると考え、いつの日か善が勝利し…..と願っているが、彼らは「善と悪は反対の考え方」と思っているから、仮に自分たちが悪魔だとしてもそれは価値観の相違つまり「価値観が逆なだけであり実際は善」なのだと考えている(はず)。二つ巴(=ウロボロス)の形状を考えれば判り易い。だから彼らは我々人類こそが悪だと思っているので、平然と我々をモノ扱いしたり実験材料にしたりする。グノーシズムとゾロアスターの関係はそういうもの。よっていつまで経っても彼らが改心する可能性はゼロ。だって我々の方を悪だと思っていたらこちら側に来るはずはない。
だが彼らが否定する物質世界つまり現実世界には「法」があり、何人たりともそれに従わねばならない。それは彼らグノーシス主義者であっても同様なので本当なら彼ら自身が裁かれるべき。だから彼らはその法そのものを改悪し自分たちの側に都合のいいように作り替えようとしてきた。日本なら違法ダウンロード法や成人年齢引き下げ化など、その他。そうやって世の中を悪法で覆ってしまえば自分たちこそ正義だと事実化できる…..というのが彼らの欲望。なぜなら創世記49章で「ダンはおのれの民を裁く」とJUDGEを司るから。
2012年にアノニマスが東京で騒いだ事件、あの時彼らが「日本の法務省をターゲットにした!」とアナウンスしたのは、そういう理由。

ネタニヤフの司法制度改革とはこういう悪法化に歯止めをかけるための政策だったと思うが、ずっと難航していて日本の様相と連動している印象だったが、最近になり中東で紛争が起こり米国もイスラエルに同調している。以前に元外務省の孫崎享が「現在の民主党の本体はオバマとヒラリーにネオコンが融合したグループで、バイデンはそれに操られている」と述べていたが、オバマもヒラリーも弁護士だからそこに好戦的勢力が加われば、イスラエルの司法制度改革を妨害しようとするのは不思議でないな、と。

三位一体説について少し

キリスト教の三位一体説はTRINITYで映画「マトリックス」でネオの相棒はトリニティだから、要するにZIONの一番の仲間である。元来一神教は唯一神への信仰が基本だが、三位一体説は「父なる神と、神の子イエスと、精霊」がトライアングルを形成していて、イエスは唯一神のはずなのにその父も神であり論理的に矛盾しているなどといわれ、古来に論争の的だったという。もちろん父も神でその子であるイエスも神なのは矛盾しているので三位一体説はおかしい。加えて「精霊」という存在もまたおかしく、マリアの受胎は精霊によるもので彼女の胎内に精霊が宿ってイエスが産まれたとか、それなら精霊とは神の精子になるはず。
聖書が版を重ねるたびに、文中のイエスを指す「神の子」という記述が「人の子」に書き換えられる箇所が増えている、という現象があるらしく、事実聖書(の日本語訳)を読むと「神の子」と「人の子」の両方が混在している。誰がやっているかはともかくなぜ「人の子」という記述に置き換えたいのかといえば、結局2000年前のイエスが神だったなど非科学的であり得ない話なので、当然ただの人間だったろうという事実に気付いたからに決まっている。つまりその母マリアもただの人間だし夫のヨセフも人間なので、二人の男女が交わった結果息子が産まれてそれがイエスだったというだけの話。
よって「神が精霊をマリアの胎内に入れて妊娠させ~」などというのは神が人間の女をレイプしたという与太話に過ぎず、もっと言えば「人間の男女の愛を否定する行為」なのであるはずがない。これに関して映画「第七の予言」は、それが獅子つまりライオンを名乗る者の仕業だった・・・というストーリー。
またこの三位一体説がキリスト教世界で本格的に認められたのはカルケドン公会議で、当時のローマ法皇(司教)はレオ一世だったが、言うまでもなくレオとはライオンの意味。なぜかつてキリスト教徒が弾圧されていた時代に、彼らは公衆の面前で「生きたままライオンに喰わせる」刑に処されていたのに、そのライオンの名を冠した人物が法皇だったのか?彼の在位中にフン族や西ゴート族がローマに侵入し、結果的に西ローマ帝国は滅亡する。もはやこれについて説明の必要はないはず。
要するに三位一体説はトライアングルだから「三角形」が好きな連中が正当だということにしたい理論に過ぎない。もちろん三角形を上下逆さまにして重ねれば「あの星」になる。

旧約聖書のアブラハム改名の真相

旧約聖書の系譜に「ノア~セム~・・・ナホル~テラ~アブラムとハラン」とあるが、日本の「高天原(たかまがはら)」は「タガーマ州のハラン」だとの説が昔からある。テラはそのハランで死んでいるが、テラは「寺=tierra」でバラモン僧?
アブラムとロトは叔父と甥の関係だが、両者は別れた後、ロトはヨルダン川流域低地一帯に住んだとある。いわゆる「ヨルダン川西岸地区」とはどこか?またロトはその後ソドムとゴモラを通過するがそのまま生き残る。
アブラハムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教という「啓典の民」の全てに共通の始祖だが、アブラムが改名しアブラハムになる。それはメルキゼデクが彼を祝福した結果、神が彼に”強制”したからだが、実際はこれが諸悪の根源。

1.割礼・・・大事な性器を傷ものにする愚劣行為
2.アブラムからアブラハムに改名・・・親からもらった名前を変えさせる最低行為
3.妻サライをサラに改名・・・他人の愛する妻の名前を変えさせるクズ行為
4.神がそのサラに自分の子供を産ませる・・・夫のある女を奪い他人の子供を産ませるレイプ行為
5.自分の子供のイサクを神への生贄に捧げさせようとする・・・我が子を殺させるサタニズム

と、最低最悪の強制をいくつも行っている。もはやこれらは「家族をぶち壊すための悪魔の命令」に過ぎない。ゆえにアブラムこそが一番可哀想な被害者であり、その神の祝福を施したメルキゼデクこそ悪の親玉。「メルキゼデク」の語源が「メルキド」ならロトもメルキドもドラクエに登場する単語である。もし「メルキド/メルキト=merket」なら商売や金融の神のはずで、シリアかレバノンにこの地名があったはず。
そもそも聖書でメルキゼデクは「神の名を明かしていない」が、その神がアブラハムに我が子を犠牲に捧げよと命じたが、犠牲の「犠」の字が「左側に牛が立っていて、我が羊を捧げている」つくりなのは有名で、その牛とは牛神バアルといわれる。ミケランジェロのモーセ像の頭部に角が生えているのも有名で、つまりユダヤ民族がバアル崇拝を行っていたことは暗黙の事実である。
聖書にメルキゼデクは「祭司」で「王」と書かれている。祭司王つまりシャーマンキングだが、ではどこの国のだろう?男か女かも不明だが、インダス文明の「角の付いた仮面を被ったシャーマン」はシヴァの原型といわれ「シヴァ=獣の主=JEWの主」であり拝火崇拝を行っていた説があるので、これがそうかもしれない。本来アーリア人はシオニストユダヤの敵だが、その仮面を被ったシャーマンが女なら祭司女王でシヴァの女王になる。
ちなみに漫画「銃夢」でメルキゼデクは女の姿で描かれていた。

結局メルキゼデクが何者だったにせよ、元々アブラムという名前だった者にいくつも無理な強制を強いていることこそ諸悪の根源である。だからWWⅡ時代にそれに気づいた「誰か」がいたとして、これを聖書の欺瞞・ペテンだと主張したとする。ところが神智学協会は「アブラムがアブラハムに改名した理由はA_BRAHMAつまり反バラモンという意味である」などとアーリア人がレイシズムに走った根拠なのだと本来の主張を捻じ曲げて広めて、だから彼らは反キリスト教なのだ反聖書なのだと言いがかりをつけて皆を混乱させ、気がつけば全ドイツでユダヤ人迫害が行われシオニストが同胞たちを・・・というのが真相だと思う。

ペリシテ人とフェニキア人

以前、聖書における士師サムソンのエピソードについていろいろこねくり回したけど・・・。
結局あれは『ダン族のサムソンをSUN_SONと書けば「太陽の子」なので、ユダヤ人それもダン族が自らを太陽信仰の側と欺くためのネーミング』である。サムソンの「髪の毛を剃られ目を潰される」エピソードは明らかに記紀神話のスサノヲと対応するが、その出自のダン族から「檀君桓因=帝釈天桓因=インドラ=スサノヲ」と対応関係になる。
そしてダゴンをDAGONと書くならサンスクリットでRは母音で発音の必要がないのでDRAGONもダゴンだから、つまりユダヤ人の文献である旧約聖書における「太陽神の龍退治神話」と同義である。ダゴン神殿を祀っていたのはペリシテ人だが、パレスチナとはペリシテ人の土地のことだから、実際はイスラエルという国がペリシテ人そのもので、それは例のごとく「ファールス」に由来し「ペルシャ・パリサイ・ペリシテ」みな一緒。
結局聖書のこのエピソードは、ユダヤ人が自らの正体を欺くためのもので、ペリシテ人がDRAGONだということからパレスチナ侵略を正当化する根拠になっている。その正体が何であるかはともかく、あくまでも神話的モチーフ上はそうなる。

ちなみに漫画「キン肉マン」の作者のゆでたまごは、作品の大ヒットで巨万の富を得たにも関わらず、士師サムソンを侮辱する内容を描いてしまったためユダヤ人の怒りを買い、財産没収されてしまい無一文になったという。彼らの怒りを買うと本当に恐ろしい・・・。

またイスラエルはレバノンと対立していて、ベイルートにはPLOやヒズボラが本部を置かされているが、前者はイギリス後者はフランスが後ろ盾なので例によって対立のブラフお芝居。レバノンからはカルロス・ゴーンやラルフ・ネーダーなどクルマ人脈が多いが、英仏ブラフ対立は自動車ハンドルの左右分割問題と関係あるのか?
レバノンはフェニキア人で、レバノン杉を建材に船を作ったが、現在それはカディーシャ山地にしか生えておらず、そこはマロン派の土地でやはりフランス系。イスラエルがペリシテ人なら「10・十(CROSS)」で十本足はイカ、レバノンがフェニキア人なら「8」で八本足はタコ。PHOENICIAもPHOENIXも共に語源同じで「不死鳥=無限=∞=8」。CRAKENには二系統あるようだ。
またシリアやレバノンから南米に移民し帰国した連中がゴラン高原に集まっていて、マテ茶を飲む風習があるらしい。レバノン地方の山地高地には怪しい連中が集っているようで、そもそも日本の修験者の装束が古代イスラエルの宗教装束と瓜二つなのはあまりにも有名である。